今夫が茅葺きの手元のお仕事に出張中である。
5〜7日ほど出向いて帰ってきて休日過ごしたらまた出向く、のを現在3週目。
突如のひとり時間であーる。
我らふたりで車一台ということもあり夫が乗って出ると当然私は車なし生活、となれば、コロナとか関係なくこの辺鄙な山間の過疎地域、1日に誰とも話さないで終わることもしばしば。
たまに村人(と言っても私以外で8人しかいない)が車で目の前を通れば少し会話するかな、程度で、一番近い家でも歩いて数分だから窓から外を見ていても人っ子ひとり見えない状態。
幸い実家が近いので何かっていうと迎えに来てくれて食事を共にしたりもしてるから、出張中毎日ひとりではないんだけど。
なんだかんだ二人暮らしを始めて数年経ってくると今から一人暮らしできないなぁと思う。
ごはん作るのも毎日の流れも、もうひとりいてはじめてこしらえられてた、というのか、自分ひとりだけのためだとごはんもびっくりするくらい作る気が起きない中、いやもうちょっと手を入れようとこねくり回してはいるものの、食べても旨味を感じにくい。
いや、不味くもないけど、うまくもないっていうか、ガツガツガツーと食べて終わり。
ごはん時間ももうもう18時前には食べてたりして。
これまた猫のきみがおるから、この家におれるてなもんで、これひとりやったらこの家に全くのひとりで暮らせないなぁとしみじみ思った。
きみがいるとこの人どこでもついてくるから、お風呂も戸の前で待つし、畑中は外でずっと遊んだり寝転びながら待ってるし、家の中じゃずっとそばで寝てるし、ごはんはいつも催促してくるし、寝るときは布団の上にきて、夜中遊びまわって朝方また布団の上、という、この人おらんかったらほんとにわたしってしょうもない、と思う。
やっぱり人やら猫やらいっしょに暮らしてるものがいるとこのひとりってのはどうやらまったくわからなくなってしまうみたい。
安心しきってるということなのかな。
わたしはいつだってひとりで生き死ぬということをどこかで回避してるんだなって思う。
日常の中ではそういうことをついと思わない。
年齢もあるのかな、今日死ぬとか思えないまま過ごしてるんだなぁってことを知らされる。
なんにしても言いたかったのは、人は顔見て話す、しかも直に、これだけでほんとは十分なほど充実なんだろな、と思う。
その充実はそこの場の空気全体が充実してるんだろな、という表現も変かな。
そんな空気の中におさめられてることに当の本人はなかなか気づけないでいる感じかな。
それくらい、電話で話しても物足りないのはその直に接してるそこの場を共有しているということがもうもう有難いことなんやろな、とひとりになって思うのだったー。