ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

山登ってきた。

2019-06-18 13:52:02 | 日記


昨日、大分県の九重連山のひとつ、三俣山に登ってきた。

天気も上々、いや、陽が差すと暑いくらい、年配の方の方が登山者は多い、皆60代後半であろうかと思われる。


1組だけ若めのご夫婦は犬連れだった。
ボーダーコリーという大きな牧羊犬だった。

毛が黒白のボーダーでくるりんとしている部分があって艶やかなきれいな犬だった。

ご夫婦の間になってリードなく嬉しそうに歩いてた。


すれ違うときに、挨拶したら、あっちも嬉しかったのか、スピーク!とか言って犬がその場でワオンと吠えながらぐるっと回るのを見せてくれた。

やはり犬はかわいいし、どこでも行けるのがまたいいなあ。



そんなんで、ミヤマキリシマという小さなツツジの一種で九州のものかもしれない、それを見に出向いたわけだが、あいにくもう最後の最後ではあった、が、まぁ遠目から見たら山にコケのような花、変な感じだった。












にしても、周りは山々に囲まれていて、その壮大な景色が山だなあと、そして、どこの山も頂上辺りに人がちらほら見える。

みんな登るんだなぁ。

三俣山はその名前だけあって、どこから眺めても三峰に見えるらしいが、実際は、四峰の頂上がある。
ちょっとお腹の空き具合もあって結局三峰だけ登ったことになったが、それぞれの頂きからまた別の広い景色を見せてくれるのが面白い山であった。



そんなこんなで、道中、やはり俳句のことを考える頭になってみているらしく、いろいろと考え考え歩いても、なかなかこれっていう形で見つからない。

闇雲に作るのもいいが、やはり季語ひとつでさまざまな情感を表せることになっているのだろうと想像する。

が、季語を知らないのだな〜。


しかし、最近覚えた俳句で、芭蕉の句がある。


閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声


こんなのいいよなぁと思う。

難しさもなく読んで誰もがそれぞれの情感に浸れる。



そして、私の俳句のお披露目。


山から。

カッコウが 胸空渡る 山登り


登りハァハァ 降りカモシカ 我流登山


我流って大げさなんだよなぁと思いつつ、、。


そして、ちょっとパクリっぽい?


涼しげや 影に彩ふる 青紫陽花


そんなこんなでった。







俳句、訂正版。

2019-06-10 09:11:07 | 日記



ちょっと早まったな、と今朝体操しながら考えていた。


うーん、もう少しなぁ、、。


また訂正したくなるのやもしれん、けど、今のところ、もう一回。


手の平に こんもり温もる 猫の冬



手の平一杯 こんもり温もる 猫の冬




故郷の 我呼び覚ます カッコウかな



畑ん中 カッコウカッコウ 空見上げ




くるくると 二度と離すもんかと ゴーヤは言う



くるくるる 二度と離すもんかと ゴーヤは言う




紫陽花の俳句、今のところ、ボツ。


うーん、、。



俳句。

2019-06-09 15:54:58 | 日記


この間、夫の実家にいたときに、俳句やらないかとすすめられ、俳句なんぞ私にゃ遠い遠いと思ったものの、渥美清の俳句を特集した番組のDVDを貸してくれたものだから、それを観た。

ところ、なんだか、くすぶるものがあり、私も早速書いていた。

案外面白い。








手の平に こんもりぬくもる 猫の冬



故郷の 我呼び覚ます カッコウかな



ぼんぼりと 私もいるよと 紫陽花が



くるくると 二度と離すもんかと ゴーヤは言う






ここからは、渥美清さんの俳句。



蟹悪さしたように生き


赤とんぼじっとしたまま明日どうする


いみもなくふきげんな顔してみる三が日


テレビ消しひとりだった大みそか


毛皮着て靴ふるきはな水の女


いま暗殺されて鍋だけくつくつ


台所誰も居なくて浅利泣く


麦といっしょに首ふって歌唄う


少年の日に帰りたる初蛍


山吹キイロひまわりキイロたくわんキイロで生きるたのしさ


蓑虫こともなげにいきてるふう


雨蛙木々の涙を仰ぎ見る


ポトリと言ったような気がする毛虫かな










Cory。

2019-06-02 22:05:57 | 日記


Cory、、こと、コーリー。

なぜか、錦織圭さんのことをコーリーと呼んでいるあたい。

そのCoryが地デジでやってて、この間も夜1時半近くまで見てまってた。

なんや負けるなーさすがのさっちゃんなんて思ってた展開からの、うお〜な試合でったのだ!

にしても、地デジのアナウンスがやったらとうるさいし、笑っちゃうくらいの、そんなん誰だってわかっとるわい、何回言っとりんて、ちゅーくらいいい場面で、これは非常に大切な一球です!やら、ミラクルショットです!やらやら、見たらそれくらいこちとらわかりますよって、解説するんならもっと詳しく解説してくれてもいいのに、やらやら、あぁ文句が多い。

とにかく、
んだから、また今夜観れるどーと思ってたら、ワウワウかよ〜です。ワウワウWOWOWね。



この間、少し近くに植物園ってところがあって、そこに出向いてきた。

そりゃそりゃたくさんの種類があった。
あーほしいなぁなんて思う草花が多くて、こういうのは植え始めたらすてきやなぁなんて夢膨らんだ、が、買うにはまだだと、そのときではない、とブレーキをかけておいて、いつかの楽しみにしておくのだ。


その植物園の一角に一画?あれ、どっち?笑

に、カフェが併設されてて、そこのパンケーキが話題なんやと、人から勧められたことがあった。

ので、甘いもの好きとしては、どれどれと思うじゃない。

それが、もうなーにがなんだよおう、と悲しくさえなってしまったよ。

あっしがお金出して食べたいものはこういうものじゃなーい!と、思ってしまった。


なんていうのか、見た目だけのでまかせっちゅーか、こんなん家でパンケーキミックスで作ってしまったやつの方がよっぽど美味しいぜ、と。

まぁパンケーキミックスも飽きるから、普通に作った方がうみゃいのだが。


いかんせん、むむむむむうと車に乗って散々文句言ってるあたい。

困ったもんじゃやきねぇ。



ソングスって番組で椎名林檎をやっていた。

(テレビ見過ぎ??てへ)

椎名林檎、結局のところ顔はわかるし歌い方も知ってるがこれといってあんまり知らないけど、なんか興味もそそられる、という具合。

喋ってる姿をまともに観た。

いつだったか、対談の番組で西加奈子、小説家と話してるのを見たときふーんくらいだった気がするもんだったけど、今回話してる内容がそうかぁこういう人なんかぁと改めて認識した次第。

なんていうのかな、案外素朴に疑問持ってる感じが伝わってきて、へー格好いいんだなぁと思った。

とは言っても、曲は相変わらず興味がわかないのはなんか相性かな。



この間、初恋から来た道、という中国の映画を観た。

チャンツィーを見る映画かってくらい、かわいい、ほんとにかわいいチャンツィーをずっと見るようなものだった。

昔見たことはあっても、小さい頃は何がなんだかで見ている、にしても、なんか記憶にあるから見たくなったのだ。


なんなんだろう、下手したら勘違いしてるんちゃうの?とか、よくそんな意思疎通できてるんかなんなんか具合で、ああして待っておられるもんだなぁと、わたしからしたら、感情移入なんちゅーのはない。

が、なんだよう、いい映画だったのだ。



この間、田口ランディという人のキュアという小説を例のごとく図書館で借りて読んだ。


それがぷわ〜と読んじゃった。

おもしろかったんだ。

何がって、話のストーリーとかじゃない、むしろ勉強になりました、みたいな気分になって小説を読み終える嬉しさとかじゃなかったな。

ただ勉強本を一冊読んだ、みたいな気分。

内容は、ガンについて、西洋医学と人も持つ自然治癒能力というのかな、昔で言うとシャーマンみたいな呪力みたいな分野まで食い込むのだけども、若くしてガンになった人の生き様を追うような話で、いろいろと自分のことで当てはめてみると、と考えさせられた。


自分が今末期のガンだとわかったらどうするだろう、どう思うだろう、想像さえ拒むわたしがいるのがわかる。

実際そうならないだろうってなりたくないって思ってるんだろうなぁ、そんな頑ななわたしがいる。

けど、みんな老化するということは細胞的にはガンの症状が進んでいくってことだから、ガンという病気が表立ってくるのがどのタイミングでくるかということなのだ。

そのガンという病気は、不思議なことだ。

ガンは外から何か入って悪さをするとかじゃなくて、自分の細胞だからだ。

悪性腫瘍と言うが、腫瘍は増殖する細胞集団だそう。

だからこそ、不思議なのだ。

増殖をして増えるのを好ましくなるのはなんとなく理解もできる、けれども、増えすぎることで、その身体自身が維持できなくなり、つまり、ガン細胞が活発ながらにその大元の死を招くことで、自らも死にゆくということ?

だから、おかしなことなのだ、自滅してしまうというか。

このちっぽけな頭で考えるにはたくさんのいろいろなことが毎日起きて、その度にいろいろ心動かされて生きている。

目の前のちょっとちょっとのことから、この間の川崎の事件にしても、誰しも何か思うだろう、ひきこもりと呼ばれている人々が偏見を持たれてしまうと声をあげているらしい、、

頭も含め、体全体、心もなんか知らぬうちに引っ張られ引っ張りあっているんじゃないのか。

人類絶滅史という本を読んだけど、かつて狩猟採集していたときの人類はどうだろう、何を考えながら、槍を作っただろう、毛皮の服を縫っただろう。

空の星を見て何を思っただろうか。

みんな生きて死んでいったし、このわたしもそうなるんだ、ろう。


なんだかえらいことだ、ほんに。



そしてこの間、プロフェッショナル仕事の流儀って番組で、って、情報テレビばかり、。

美容師さんが出てて、なんだかものすごいその世界では有名な人だろう、売れっ子な人だ。

がその人、えらい素敵な方だなぁと思った。

自分が美容師という仕事をしてる中で、出会う人ひとりひとりに魔法をかける、革命をする、人生を変えるって本気で思って切っている。

そいで、そのひとりひとりがハッピーになってほしいし、大目的は世界がハッピーになることだって、言葉にしていた。

こういう人がいることがうれしい。

いやー見習わなくてはいけない、と思った。


と、長々と
ここ最近の日記であるね。