若い人、15歳から34歳の死因一位が自殺というのは、G7の中で日本だけらしい。
昨日ふらっと見たWebの記事では、世界保健機関で幸福度をアンケート調査して調べたら、若者、小、中、高校生だけだったか、日本は身体は健康度第1位とか2位?だけれども、精神、今の生活に満足しているか、という質問に1から10の間で答えるもの、では全体40未満の国のなかで最下位だったか下から2番目だったか。
総合幸福度1から3位を占めるのは北欧3カ国だった。
なんだろな。
お国柄、あんまり今めっちゃハッピーバンザイなんだよね〜!ってアピールするのを良しとしないようなところもあるから、出る杭は打たれるってのはどこの国でもあるだろうけど、日本は強いのかな?自己肯定感のところは低いと思うから、本人自身が現在に対して高い評価をくだすのはそうないだろうなーと想像もする。
聞く話によれば、高校生がもうハタチになったらオバサンやん、と言うこととか。若作りなこととかを見れば、大人になっていくことに対して何もうれしさやらたのしみを見出すこともなければ展望が開けない。とすれば、
大人になっていくことってなんだろか。
最近思うことは、とにかく、携帯電話をみんなその世代の人はたぶんひとり一台持っていて、LINEとかTwitterとか、Instagramとか、SNSで自分の思いを発信したりもしていて、
発信てほどの重さを感じてるとは思えないほど気軽な気持ちだろうけれども。
なんだろな、なんか想像するだけでも大変な気がするんだな、とっても。
わたしの高校時代から携帯持っていたけど、まだLINEほど頻繁にメールするようなシステムもないし雰囲気もそこまでなかった。
だけどもLINEはほとんど文字版の会話だものね。
え!とか、わ〜。とか、だけでも送り合いながら時間が経つんだから。
携帯越しに同じ時間を過ごしている、という共有感があるんじゃないかな。
携帯を見ないということはそのネットの席から外れた、ひとり違うことをしている、というような状況ってことだから、LINEで会話をスムーズにぽこぽこ送り合ってるってことは今一緒にそのネットの席に座ってるよ、ということが結局身体をそこに留めているという束縛の状態があるんやと思う。
我らの親世代からは何やってんだそんなことしてまで連絡取る必要あるか?と疑問どころか、嫌悪?的な感情さえ伴うかもしれない。
けど、そういう意味で見れば、本当に異常なのかもしれないし、時代的に見れば、もはや普通でしかない、当たり前のことでもあるから、そこはなんとも世代間の価値観?のギャップは大きいんだと思う。
いや、しかし、ともかくこれからのこどもたちはそこらへんが大変だろうなぁと思うんだ。
そういういるのかわからない、気遣いの苦労が絶えないだろうなぁと。
やっぱり対面してなくとも、言葉だし、その場の空気ってのはあるから、それが朝から寝るまで延々続いた中の生活なんかな、とか、想像しちゃって、、。
そして、またそういうものにのめりこんでいるとも思わずとものめりこんでいると、携帯でつながる友人以外、今見えている景色は、もちろん目の前の他人も含めて、全くの景色でしかない、もしくは、景色として見ようとつとめている、かもしれない。
身体の距離だけはやたらめったら近いのに、(都会の乗り物だと)それでもいないぐらいの感覚にまで落とし込む術を持っているのじゃないかな。
前も書いたのかなー、新幹線で隣の人にナタを振り下ろした事件があったけども、私はその事件を知ったとき、とてもこわくなったのだ。
歩いてる人がナイフで刺されるとかもそうだけど、知り合いでない場合を考えていると、この社会のシステムはある意味信頼で成り立っている社会を形成しているんじゃないか、と思った。
見ず知らずの人と隣り合わせになり、数時間を過ごすということが、当たり前に過ごしていることだけれども、一見すればなかなかにそれぞれが隣人に対して敵意を抱いてないってことを示している。
そういうことを考える必要もない、防御する必要もないでいられる社会を作ってきたんじゃないか。
その上で、目の前の知らない人をいかに知らなくとも、自分の知っている人と同じような、または自分と同じような者同士である、ということを思えるのか、想像していくことを面倒がらず当たり前にできていくことができるのか、ということは、どうやって育まれるのだろうか。
たとえば、うちに猫がいる。
彼女とは基本的に言葉で会話は成立しないわけだけど、意思疎通は驚くほどできる。
もちろん、こっちの勝手な思い込みもあるだろうし、細かい感情までは正直全くわからないと言ってしまえばわからない。
けど、うれしいんだな、とか、困ってるんだな、とか、ある程度はわかるものだ。
そういうのって非常に喜ばしい感情として存在する。
わからないけど、わかってるとは思いがたいこともあるけど、愛おしい感情はとてもある、みたいなこと。
大人になっていくことっていうのは、そういう近しい者だけじゃなく、遠いところの異文化の人であろうと木であろうと草であろうと猫であろうと、根っこでいっしょだな〜、そして否が応でもつながってるんだなー、と思い巡らしながら、いつも広い目を持とうとすることなんじゃないか。
と、ひどくまとめすぎてしまったところで、今日のところは終わりにします。
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