いや~。
ずっと書くのがご無沙汰になってまった。
全然どうでもいいようなことだけど、いま、「ご無沙汰」ってことばを出すことができなかった。
おぶさた?おさぶた?いやいや、違うわな、、。自分やばいんと違うか?
と、思いながら、兄に聞くと一発解決!
あ~「ご無沙汰」ね~。
けど、こういうことばでてこないことありますよねん。
ねん。
ということで、久しぶりの更新ですたい。
ここ最近更新しなかったのは特に何があるわけでもなかった、というのと、面倒だということ、このふたつが腕を組むとなかなかね、そのふたりの強力な協力にはなかなかね、それらを突破してまでっていう気力がなくてですね、ね。
今日は、働いた日だった。
多分ジッカに来てから、初めてまともにお仕事をお手伝いした。
父にいろいろ教わりながらふたりで、大根、タマネギにカブの種を耕耘されたやわらかい土に播いていく。
これがみんな小さい種で、こんなちいさな種からあの立派なやさいたちが育っていくのかと思うと不思議でならない。
そして、種を播くのにもそれぞれの一番いい方法があるみたいで、そういうのは先人たちの知恵としていまの人に受け継がれている。
それって少し思うとすっごいことなんじゃないかなと思った。
久しぶりに長いこと太陽の下に出てたな、土の感触やにおいとかも、ほんと懐かしいような初めてに近いようでもあって、うん。
そのあとは、古墳に生えた雑草取りをした。
父とふたり、案外スムーズに雑草を取れたし、会話も弾み、あっという間くらいにきれいになってしまった。
種まきにしろ、雑草取りにしろ、何でも事が済んだ後って、すっときれいになっているものだよな。
種を播いたあと土をかけたところも、とってもきれいなのだ。
これでこそ完成!って終了!って感じだよなぁ。
そのおかげか、仕事を終えて、その場所を改めて見渡すと、いや~やりましたなぁって、とってもすっきりするのよね。
あと、今日は久しぶりに夜空を見た。
ずっとこっちに来て夜外に出ることもなかったせいで、こっちの星を見ていなかった。
父が今日の星はすごいぞ~と言うこともあり、ハナの散歩がてらもあり、ふたりで夜散歩に出た。
ここらの夜となると街灯も一切ないし、民家も私たちの家以外ないしで、家からの坂道を下ればそこは辺り一面闇の中。
今宵は新月が近いこともあり、ほんとうに真っ暗なのだ。
それこそ、懐中電灯があっても私はひとりじゃ坂の下までさえもこわくて行けやしないだろう。
そんな中すたこらさっさとハナは元気に先頭を進んで歩き、なんだか楽しそう。
父と夜空を眺めながら、いろいろおしゃべりした。
懐中電灯を消して歩くと、頼りにするのは道路の端を意味する白線だけ。
足下をふらつかせ、どきどきしながら歩いていく。
闇の中に入ると木が木じゃなくなるし、虫が虫じゃなくなる。
昼間見てる分には、木だ、とか、虫だ、鳥だ、草だ、山だ、やらやら、ことばであたかも把握しきっていて、わかりきっているものとして思ってしまっているけれど、、。
闇の中に入ると、それが一切通用しなくなる。
ほんとは昼も夜も関係ないはずなのだけれど、どうしても視覚で見た形とそれにつけられている名前が合体すると、どうしてもわかっているような気になってしまう。
ものの指す名前がどうとかではない、そんなものでわかっていることなんてほとんどない。
そういうわけわからんくて、おそろしくさえ感じるものたちとふつうに、当たり前に共存しているようだけど、それはこっちの勝手な思いに過ぎなくて、どっちかというと私たちの方が生かされている、というのか、取り込まれてしまっているもの、というのんか、、。
そういう気がしてくる。
そんくらいわけわからんでっかいものたちに囲まれて生きているし、彼らも、木も虫も草も、みんなみんな生きているなぁって思った。
なんか、ひとつ、星という視点から私を見たり、木という視点から見たり、虫という視点から見たり、とか、「違う視点から見る」ということはできないのかもしれないけれど、そういう視点から見てみようと努めてみると、こんなにも不思議な気持ちがわいてくる。
これっていったいなんだろう。
じぶんってものがどんどんちっぽけにも思えるようで、なんか変な奴だなぁというか、なんなんだよって言いたくなるいきものにも思えるし、ほんと不思議だ。
こういう感覚って多分とても大切な気がするんだけど、毎日、という日常を暮らしているとどうもそういう感覚が薄れてしまう。
すぐ自分のこころの中の葛藤が中心を占めてしまう。
やっぱり時折、こうやって感覚を戻さないといかんよって思う。