NHKスペシャル、消えた子どもたち、
そんな番組がよるご飯が終わって突如始まった。
見始めたら約45分くらい?、眉間にしわ寄せてこわい顔で見終えていた。
自分も少しは想像していた何かを持ってはいたものの、
子どもたち本人が語るそれは思った以上に胸にずしんときた。
虐待や育児放棄といったもの、親の精神疾患、親の経済の貧困状態、
親と子の関係、家族というもの、
少し大きくしていくと学校と家庭との関係、
周り近所とその家庭との関わり、親類縁者との関わり。
それのどれをとってもほんとうに自分が想像している何かってのは
典型的な何かでしかなくって、そのひとつひとつの家庭や
ひとりの人の人生の物語に焦点をあてて見たり聞いたりすることはほぼ全くなくて、
だからこそ何かそれについて考えてみたりすることもなく、
それはそもそもそういう出会いがないからだと簡単に言ってのけるのもできない。
なんだろう、このずどーんさは、、、。
ある意味ショックをもらってそれはこれからの自分に何らかの意味があるものにしたいと思った。
自分に何ができるのだろうって今考えてもこれという具体的な何かはでてこない。
けど何か大きなことを起こして支援をすることを思わなくても、
私が日々過ごしていく中で自分のことだけを気にかけるのはやめることはできないけれど
それでもこの今の気持ちを大事にして人と向き合いたいと思った。
これが偽善だとかだとしてもそれでもいいのじゃないかと思ったりした。
ふと思い出した。
大学生のとき私がいた学科は鬱学科と呼ばれていて、
というのも、学内で一番暗い授業ばっかりあるからという理由のもので、
実際授業は確かにそういうものが他よりは飛び抜けて多かったと思う。
そういうものというのは教育の面から見た虐待や育児放棄、
身体の障害をもつ子どもや精神的な病気、鬱やストレス、といったいろいろだ。
教室内にリストカットをしたことのある人や虐待を受けた人がいたみたいで、
授業内容に感化されてか授業の感想用紙に自分の実体験を書く人がやたら多かった。
それは先生が次の授業でその感想を読み上げるから知ることになるわけだけど。
はじめはこんなにも多いことに驚きもしたし、その実体験があまりにもなまなましくて、
ほんとうに鬱学科と呼ばれるだけあるな、と思いもした。
聞けば聞くほど気持ちは沈み、暗い気持ちになり、教室中の空気がなんともいえない。
それを払拭するだけの何かことばを先生が放ってくれたらいいのにと思いもしたが、
そんなものはなく、ただただそのまま先生が同調するかたちで授業は終わった。
そんな授業が毎週半期の15回ほどか、あったわけだけど、
それを聞いていくうちにしまいに私は授業に出れなくなった。
その授業を何回落としたことか、、。
て、それは行かない私に問題があって、しかもただのサボリ魔であったのがほんとは一番大きい。
けど行きたくない授業ナンバー1だった。
けど今となってしまえば、その学科、幅広い世界を見せてくれて、ありがたいと思う。
自分が興味を持って知ろうと積極的に動くのは大抵その学科で見せてくれたこととは遠いものだったりする。
けど何か確かな知識だったり学問として自分に残っているとは決して言えないのだが、
それでも自分の幅を広げてもらったのは確かな気がする。
て、結局自分の話になってしまった。
けど自分の話するしかなかったりもする。
その番組の話だけれど、なんだろう、、。
ちいさなやさしさとか気づきとかしあわせとかそういう空気を持って周りに放ったりできたらって
自分も自分が思っている範囲内ではそんなことしようと思ってできないのだけど、
周りから見てそうあれたらいいなと思うよね。
カニ まどみちお
カニがカニッとしているのは嬉しい
カニがそれを気づいていないらしいので
なおさら しみじみと
ああ こんな私も私っとしていることで
だれかを喜ばせているかもしれない
私がまるで気づかないとき
いっそう しみじみと‥
そう思うこともできるんかなあ
と私は私に胸あつくさせた
わたし、この詩すきなんだ。
げんきをもらうのね。
わたしも私っとしてたいなー
まきもまきっとしているだよさ~。
それがわたしや周りの人を
ほっとさせてくれているだよ~。
なんか、この詩がにまりとことりと
胸をあつくさせてくれるんだな。