日韓駆ける薫風はまっこりの風か、極めて臭い成り行きである。反日新聞の雄とも成り果てた毎日新聞の記事では、まさに盛りの反社会性を謡ってかぐわしい。
>日本と韓国の関係は
のくだりに至っては史実を無視した報道にいかがわしさを感じてならない。
>鎖国していた日本では外国知識人との交流の機会は貴重だった。
これは、全くの誤解か、虚妄であろう。江戸時代は日本のルネサンスとも言うべき時代で絢爛たる国学の発展があった時代である。
この豪華なる文明に触発されたのは、朝鮮通信使のほうである。日本の鎖国とは交渉国を制限した状態であって、他国の文明を完全に拒絶したわけではない。護憲派のよく言う武装中立が完成された形で出現したのである。中立を確保するのは、何もスイスを例に出すまでも無く、戦国期から江戸期に至る日本国が世界有数の武装国家である事で完成した政治形態である。護憲派は流石に間違う、実は非武装など糞の役にも立たないのである。韓国は竹島を日本占領期に泥棒のように簒奪して現在に至っている。そうして見れば、国家関係を良好にするには負債の清算が必要な事が極めて明確に理解される。
領土を簒奪された状態で、友好など、夢のまた夢に他ならない。
日本国政府が強行に挑むべき理由が、領土の簒奪にあることは自明である。従って民間で如何なる交流があろうとも、日本国政府が領土復権を語ることは極めて正義である。毎日新聞の論説が朝日新聞の亜流に過ぎないか、間違いと断じる原点が此処にある。マスメデイアが間違いを報道する事による弊害は眼を覆わんばかりと考える。
近年、富に盛んになった嫌韓の源流は、日本人が朝鮮人をよくよく知る事によって成立してきた。政治的対立と言う事ではなく、今回の日中韓首脳会談の実施でも、国家間の相克が描き出す政治事情に日本人は無関心ではいられなくなってきた。
親韓の政治家の活動が、日韓の理解友好促進に害悪となっている例を感じる。彼らは友好を目的として、日本国の文明の消長など眼中には無いのである。まさに国賊ともいう政治家群の活躍は日本国の国益を毀損する。此処でも、毎日新聞と、当ブログの見方は真反対である。嫌韓とは、朝鮮人を良く知る事によって盛んになったのである。互いの違いは極めて大きいと日本人が自分たち個々に考えた結果の集大成である。
近年、日本人の韓国旅行者が激減していると見聞きする。これも相手を良く知った上での変化である。
彼ら朝鮮人が国家を挙げて日本人をののしり、敵対的行動を取るのは、日本への嫉妬であると聞き知った。ノーベル賞受賞の知らせは連日日本人の気持ちを快適にしたが、朝鮮人は大げさに嘆くのが伝わってくる。そもそも朝鮮人は物作りが嫌いである。だが、日本人の多くは物作りに有意義を認めている。企業の管理者となっても、現場に愛着を持つ人士は少なくない。そうした文化が日本を形作っている。
先のWW2でも多くの日本人は文明の高さに破れたと思っている。もう一つは、日本は人種差別を撤廃しようとした、そうして奴隷制度を温存する勢力に嵌められた。そうした人種差別を巡る戦いであったと理解している。二度と嵌められないためには、叡智と汗を欠いてはならないと考えている。世界からエコノミックアニマルと蔑称されようとも、日本人は生産を手放す事は無かった。WW2の科学文明の進展は想像以上であった。今後の日本国隆盛の根幹には人材育成と文明の進展が欠かせないと考えている。
民主党政権の3年半で円高の為に、企業は中国や韓国に渡ったが、ようやく企業の回帰が始まっている。これも、外交と共に経済の安倍政権と言う特性を明らかにしている。平和安全法制から、戦争推進国家、軍国主義と述べるのは、中国の物言いにそっくりである。
朝鮮通信使の関連資料には、しっかりと、鶏を盗むな、と記述すべきである。(史実に忠実に)
社説:新朝鮮通信使 日韓駆ける両輪の涼風
毎日新聞 2015年10月30日 02時30分
http://mainichi.jp/opinion/news/20151030k0000m070164000c.html
ソウル都心にある朝鮮王朝の王宮「景福宮(キョンボックン)」を今月11日に出発した日韓両国の市民約50人が、対馬海峡を渡り、ゴールの東京都庁を目指して懸命にペダルをこいでいる。
かつての朝鮮王朝が日本に送った外交使節・朝鮮通信使の道を自転車でたどるイベント「両輪で走る新朝鮮通信使」だ。都庁到着は来月1日に予定されている。
政治レベルの日韓関係は良好とは言えないが、市民交流は活発だ。参加した早稲田大法学部4年の早野孝洋さん(22)は「世界に目を向けるいい契機になる」と話している。
日本と韓国の関係は長い歴史の中で浮き沈みを繰り返してきた。
朝鮮通信使は室町時代に始まっている。しかし、16世紀末に豊臣秀吉が行った2度にわたる朝鮮出兵で両国の関係はいったん途絶えた。その後、江戸幕府を開いた徳川家康が、戦後処理のため朝鮮に働きかけた結果、通信使が再開された。
江戸時代に12回を数えた通信使には多くの知識人が名を連ねた。鎖国していた日本では外国知識人との交流の機会は貴重だった。宿泊先には多くの人々が詰めかけたという。
日韓は今年、国交正常化から50年を迎えた。正常化当時は両国の国力差は大きく、市民交流は細々としたものでしかなかった。
しかし、時代は大きく変わった。韓国の民主化や経済成長を経て、両国の関係は水平的なものになった。民間レベルの交流は幅が広がり、深みも出てきている。
残念ながら民間交流は政治対立を解決する特効薬にはならない。それでも、東アジアに生きる者同士が国境を越えて知り合う意味は小さくない。互いを知ることは、一部の極端な意見に流されない冷静さを育むことにもつながる。
今回のイベントに参加した人の多くは自転車愛好家だという。相手国への事前知識を持たない人もいただろう。長い道中では、時に考え方の違いに驚くこともあったはずだ。それは自然なことだ。むしろ、自分との違いを相手の個性として受け入れるきっかけにした方がいい。
朝鮮通信使の関連資料を、日韓が協力して国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録しようという運動も進められている。
世界遺産を巡っては最近、日本と周辺国のあつれきを生むニュースばかりが目立つ。もしも通信使の登録が実現すれば、後世に残すべき人類共通の遺産という世界遺産本来の前向きなものになるはずだ。
朝鮮通信使の歴史は、負の遺産を乗り越えて友好関係を築こうとする先人の努力に支えられてきた。その精神を今日に引き継ぎたい。