信頼度の高い情報源が、本=書籍と言う結論に至っては、呆れてしまう。
とある、ブログで、”信頼度の高い情報源"を論じていた。
書籍=科学技術情報がCDで与えられて、未来書籍の姿をみて、狂句乱舞した。
だが、いまだにその為せる姿は、提示されていない。邪魔する物は著作権法、
知的財産権の保護、、、、
丁度中国と米国とが、争う遺恨の大元である。
本=書籍には大きな瑕疵が付き纏う、
ネットが大勢を占める利点、即時性、記録性、転記性等とは別物である。
書籍には、大部の知識を占有できるが、記録、転記には、時間が掛かる。
つまりは、大衆伝播には不向きな性向である。現代的価値から言えば、
書籍が占める体積も問題であるし、その方寸が違うのも保存に不向きである。
書籍=科学技術情報がCDで与えられ、、と言う時点で、大いに喜んで、
電気信号で与えられる情報は、今日では,DVDで記録するのが一般的だと考える。
こうした面では、中国や北朝鮮などのサイバー攻撃にはもっと関心が高まってよい物と考えている。
文書作成に最も時間が掛かるのは、転写である。この弱点が克服できない限り、
出版不況は止め処も無い。世代が古い情報入手手段である。
もしも、考え得るなら、テレビ、雑誌、ネットとかの入手手段を何れか一つに
絞った場合、生き残れるのは、ネットのみである。その点に気付かない論議は
不毛である。主客は交代したのである。その過渡期を経験しているのである。
マスメデイアが、フェイク・ニュースの根源で、ネットを目の敵にしても
今日のメデイアが信頼を得る事は、相当に困難である。
以前、当ブログに著作権侵害 だから記事を削除するよう要請するメールが
送られてきた。だが、著名ブログからの転載であり、そのURLも記載しているので
そこへの要請が先だと返答したが、この著作権侵害 と記事引用とは
中々に難しい問題があるし、新聞やメデイアの記事にも転載禁止は詠ってあるが、
世の中に報道した時点で、著作権 で保護するものか?
議論が必要に思う。メデイアによっては、主張を有料として囲い込みをしているのも見かけるが、
記事にすると言う意志から言って、特定者に広報するのは
何かしら違うと考えてしまう。
今年に入ってから、テレビ、新聞は拒否して、ネット情報に一本化して、
個人ブログが情報の主体で、マスメデイアは価値が低いと考慮するようになった。
個人ブログでも、マスメデイアでもフイルターを通すのは同じだが、信頼とは
一朝一夕で出来上がるものではないし、淘汰されないマスメデイアには、
停滞しか残された道は無い。