【日本の陶磁器の起源は秀吉軍が半島から連れて来た陶磁工が齎したものか?①】
今日では泉山白磁砿発見者は李参平だというのが定説になって不動である。だが、鹿児島での韓人陶工の子孫である沈寿官氏が当時の「朝鮮には唐臼はなかった」との発言をしている。それなのに有田では李参平の時代に生まれている。従って李参平は中国人ではなかったかと言うのである。又、最近では有田ケーブルネットワークの西山峰次氏は陶磁全集の解説の中の左の一文を取り上げている。即ち「連房状階段式登窯の遺構が、未だ韓国では発見されないことは、通説のように天狗谷など有田の諸窯が、果たして李朝陶工によって築かれたものであるか疑問を残すのではないかと思う」と。
※唐臼とは、脱穀した籾から籾殻(もみがら)を除去して玄米にする作業に使います。石臼と 同じような仕組みの土臼で、元禄時代に中国から伝来したと言われています。此れを利用して陶土を粉状にするものです。しかし、「白磁を造るには、雅か唐臼無しには出来まい」と言うことになり、農機具としての唐臼が李参平の時代より後の元禄時代になって始めて日本に移入されたとは信じ難い。歴史的文献から真実を探ることは難しいことなのである。
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