先ず、「産業の電子化」について述べる前に👇を読んで頂きたい。
今日の日本、否、国際社会全体は、歴史上、未だ嘗て人類が経験したことの無い、あらゆる分野及び全ての民族を捲込んだ『地球規模に亘る統合化』を進めようとしています。 特に、経済至上主義は、今までの政治的或いは宗教的な主義主張を蔽って、全ての国家・地域に蔓延しています。 近世以前の人類は夫々の歴史的背景や地域性に根ざして創られて来た独自の価値観がありました。然し、情報伝達が一瞬の内に世界を駆け巡り、物資や人が世界の何処にでも瞬時に移動が出来る今日に措いては、今迄の時代に、夫々の民族や国民或いは各地域が持っていた価値観では、到底通用する訳にはいか無く成っているのです。 とは言え、人類が悠久の年月を重ねて積み上げて来た各々の価値観は、其れなりに重みがあるもので、夫々に共通する普遍的な価値のあるものであることは否めません。 これらの価値観を無碍にすること無く地球規模の価値観を如何練り上げて行くかということは、今日に生きる我々が、緊急に解決して行かなければならない大きな命題と成っているのです。
その命題の解決の前提として、我々が理解しておかなければならないものは、現在迄に創り挙げられた夫々の思想体系であり、道徳観、倫理観、宗教観であるのです。 私は近世以前の夫々の道徳観、倫理観は各々の宗教観を反映して育まれて来たものと考えています。
私達日本人は、東亜細亜の思想体系に組込まれた道徳観、倫理観、宗教観などに大きな影響を受けて来ました。 我々が与えられた大命題を解く鍵は、存外、此の辺りにあるのです。 東亜細亜の思想体系、詰り、その大きな部分を占める中華思想を理解することから、其れを我々の価値観の源流の大部分を占めるものとして捉え、ここに興味を持つことは、国際化した今日に生きる我々の羅針盤とも成り得ると思います。
幸いにも、以上のことに役立つと考える書を見付けることが出来ました。 これが、優れた先生の書かれた中文書『王安石と仏教』という一冊だったのです。 此の書は、全十章から成る大書ですので、此の書を翻訳したものを参考に私は一章を一編とし全十冊に分けて出版?することにしました。 此の書の最大の読み處は、我が国の現今の構造改革との対比に相当する部分です。
地球規模の此の変革の時代に、我々人類が方向性を誤れば、我々には未来は在りません。 此の儘、経済至上主義一辺倒で突っ走れば、地球環境は忽壊滅的状況に遭い、更に代替燃料も無いうちに現代社会のあらゆる富の源泉である石油資源も枯渇して仕舞い、人類は滅亡へと方向付けられて行きます。
『経済を豊にするということの目的は人の暮らしを豊にすることで、人の暮らしを豊にすることが、即ち経済を豊にすることでは無いのです』。
地球に生かされている万民が幸福感を持って日々暮らせる世の中に成るように願って止みません。
以上、
の「前 書」より
凡ゆる経済問題の解決の目的は、👆の様に万民の暮らしを " 物心 " 共に、豊かにすることに在ると思うべきである。
「経済の電子化」は、万民の多くの仕事を奪うことに成る。以前、我は此のブログで書いたが、人間が生み出す凡ゆる価値は、人間の労力に依存して生まれる。無論、電子化する迄は、其の電子化に向かっての多くの仕事が生まれるが、一旦電子化されると人間の労力を極小にして経済が営なわれることに成る。当然、万民の多くは凡ゆる分野の仕事が失われ、万民は経済の枠組みから弾き飛ばされ、職を失い所得が無く成る。其れ即ち、人間社会全体が巨額に購買力を失うことで、電子化で効率化してより儲けようとした企業は、生産物もサービスも売ることが出来無く成る。
こんなことは当然の理であるが、では何故、最初から無謀と分かって居ることを進めようとするのか?短期的に巨額な儲けが在れば後先考え無い輩が居るからである。彼等は、先のことは何とか成ると高を括って居るのかも知れない。
更に、人力が関わら無い生産物やサービスには、「希少性」以外の価値を「労力の質と量」に見出して来た社会経済の概念は脆くも崩れ去ることに成る。
然も、生産物やサービスの価値ばかりで無く、人類は「生きることの価値」迄見失い兼ねない。近代に入って、我々は動力機関を手に入れたことで、辛く苦ししい重労働から解放されたと同時に、多くの労力を必要とする仕事を失ったが、同時に生活圏や其れに伴う経済圏の大幅な拡大を手に入れ、其れに依って移動距離の拡大に依る経済活動の広域化が生まれ、機械化しても尚余る仕事を手に泣入れることが出来た。
然し、仕事の電子化に依る効率化は貪欲であり、更に其れが唯一凡ゆる職種の人手の排除を進めるものと成るので、労働力の機械化が人類に貢献したことは、同様に考えることは出来無いのだ。
続 く
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