Jack Dorseyはミズリー州で生まれた伊太利と愛蘭と英吉利の混血であって、今は矯正された様だが、生まれ乍障害を持って居た。ミズリー州は、嘗て奴隷州とされて黒人ばかりかイタリア系移民等も差別の激しい州だった?と我は記憶してる。我はJackを非差別を前面に押し出す " 差別主義者 " だと思っている。差別、非差別は相対のもので、何方も人に依って観方が違うのだ。
要は、現在蔓延する被差別主義者が " 罵る差別 " は、先ず人の「内心」に踏み込む差別で、有体に言えば「嫌いなものも好きに成れ!」と強要するものである。一歩間違えば、一律の「非差別主義」は、本来疚しい集団を利することに終う。集団として他人に害を及ぼす性向の強いと認めざるを得ない集団を罵ることは、我は「差別発言」とは思わず、其の集団に属する個人が嫌な思いをしたとしたなら、寧ろ其の集団の悪癖を治す努力に奮闘すべきとするのが人として当然と我は考える。
何でも彼んでも、正当な怒りの発言迄も差別として仕舞うと、社会に仇名す集団迄遣りたい放題にさせ兼ねぬ。こうなったら、差別をなくすでは無く、非差別主義が在らぬことに悪用されて仕舞うのだ。
倩考えると、非差別主義者と差別?主義者には折り合う接点は無いのだ。
衝突せずに「自由に発言」出来る場を作らねば、言葉狩りに在った者達のストレスが沸騰して社会に在らぬ最悪の混乱が生じ兼ねない。非差別主義者の利用閲覧を禁止する「差別?主義者専用利用」のSNSを創って世界中に広めようでは無いか。
✱ 文中の誤字脱字,語句の誤用等は読者適宣補正して読んで貰いたい。校正は面倒くさい。
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