第九章 十年間山水に隠遁し、禅に心血を注ぎ乍何篇かの詩を貯める
一、 仏道に身を投じる
王安石は江寧に帰ると、城外に「半分山園」を築き、世事を離れた人として悠々自適の普通の生活を始めた。始めの年には、彼は未だに「江寧府判事」の役職を一つ持っていたのだが、彼は政治と遠ざかろうと思っていたので次の年に辞去して、身軽になって長く閑さを享受する生活に入ったのだ。
凡ての官職から降りて王安石には負担を感じるものが無くなり、彼は完全に自分の願い通りの生活をすることが出来るようになり、其処で、何ものにも煩わされず仏教を研究出来、可也敬虔な仏教徒としての暮らしを出来る様になったのだ。
前文で既に述べた処ではあるが、王安石は仏教について以前よりずっと一方ならぬ思いがあったのだが、彼は丞相の身にあって、自分の立場を考えると、政敵に足下を掬われる訳には行か無いので、仏教への傾倒を示す文書などを公にすることも出来ず、其の上、政務が多忙で仏教について研究する暇も無く、内心は仏教に多大な関心が在ったとしても、彼は国の経済と人民の生活に全精力を傾ける為、貴重な時間を自分の拘りに振り向けることなど全く出来無かったのだ。定年退職後にあっては、彼は政務や儒家の学術には全く興味が無くなり、思う存分山野に遊び、詩を談じ禅を論ずることに専念出来たのだ。
王安石が晩年に釈氏に帰依したことは、彼の残した大量の詩文と注釈文の中身を通じて其の証拠を明らかに見ることが出来るので、争うことも無い事実となっているが、過去に排除された者達が彼の若年の頃為したことを何時迄も忘れず執念深く因縁をつけ、彼が儒学の思想を裏切って異端になったと触れ回わったことで、彼に味方していた多くの人が此の事を隠そうとしたにも拘らず、近年に至っては釈氏に流れたと彼を弁護して来た人でさえも、彼は仏教に対して本当は興味があったのでは無いのではないかと言う始末であったが、実は、彼を陥れた者達が彼を罪ありとし、或いは彼の弱点を指摘することで儒家を正統的な立場に置いて自分達の評価を上げることを目論んだ迄のことで、彼の評価を落とすことは全くの誤りであるのだ。
王安石には一首《望江南茶皈依三宝賛》がある:
多くが帰依して、梵行には四つの威儀あり。私は浄土に遍歴することを望んで、十方の賢聖を離さず、永遠に世の中の痴を滅す。
法に帰依して、法は思い図ることは無い。私の六根は常に寂静を望んで、心は宝月に映る瑠璃のようで、法は更に間違い無かった。
仏陀に帰依して、弾指の間に三祗を越える。私は速く此の上無い悟りを証すことを望み、更に仏陀が法事に座る時のように、知恵を働かせ或いは哀れむことも出来る。
三界にあって、総じて災害の危険を得る。普通の人々との望みと吾の望みは同じで、暇あればこそ善く思維が出来るのであって、三宝は住職と共にあり。
仏陀、法、僧は仏教の三宝で、仏とは諸々の仏であり、此の上無い悟りを啓いた者を云う;法とは仏法のことで、諸仏陀が宣旨したところの道に至る正しい道理のことである;十方の僧徒が帰依して、仏法の伝承者と成って人に広めるのだ。十方の賢聖が皆梵行を修めるに至って僧徒に帰依したのだが、高僧に成る為には四威儀(行・住・座・臥の四種の作法)を得なければならず、更には、成道(悟りを開き、仏道を完成すること)者に成ろうとする者は就業を積み、作善(堂塔・仏像の建立・造営、写経・法会(ほうえ)・追善供養などを行うこと)し、知識を貯めなければならず、仏法との繋がりをつくる努力を尽くすには、世の中で物事を正しく認識したり判断したり出来無いことの一切を永遠に滅しようと仏者が学ぶものを援け、善縁を結んで、功徳を修め、法に親しまなければ為らない。
仏法に帰依するのは、仏法皆一切理屈では語れないこの上無い法であるからだ。仏法に帰依すれば、六根(目、耳、鼻、舌、身、意根)を清浄させることが出来、霊妙な知恵が忽ち開け、諸法を知ると、更に疑いが無くなり、心は澄みわたって、宝月のようになるのだ。
此の中に幻覚の《永嘉証道歌》の中の「併し書を得て、行く末の心配をしなくなったのは、宝月を含む瑠璃を磨くが如き」の一節を引用したことで、彼が禅宗の著作に対して大変熟知したことが表明されるのだ。諸仏陀に帰依すると、瞬く間に三大阿僧祗とも言得る殆ど無限とも謂う程の長い時間の単位を超越し、俄かに悟りの境地への妙道を成して、いち早く此の上無い悟りの境地に上れるのだ。
原始の仏教が容易には仏に到達出来無いと考えていたのは、只三大阿僧祗を通じて恐ろしい程長い時間が掛かかる苦しい修行を通り抜けてこそ到達出来るものであり、此の事が仏陀の果実を得る証と思っていたからだ。阿僧祇は梵語を音訳したもので、「計り知れない」を意味し、驚いたことに数十億年の長さであって、三大阿僧とは途轍もなく長い時間のことを謂うのだ。其れから禅宗は今生を以って成仏出来るとの考えを打ち出し、瞬く間でも悟れることを喧伝し、心からの寄付しさえすれば、ほんの一瞬で仏道に留まれるとしたのだ。此処で王安石は更に《永嘉証道歌》の中の「瞬く間に愕く程の数の宗派に助力し、刹那に三祇の劫を葬った」を引用したのだ。仏教には知恵も在り、更に慈悲も心も在る、悲と智の双運を力説し、二者は何れも欠けてはいけ無いものなので、「知恵に秀で、更に慈悲の心を持てる」を願ったのだ。三界(界、色界、無色の界)には、災害と危険を招くものも在り得るので、心して掛らなければならず、其処で、王安石は数え切れ無い数の生きとし生けるもの全てに等しく望んで願を掛け、思惟を空にし、在るが儘を明らかにし、住職を三宝詰り仏と認め、仏教を法とし、その教えを広める者を僧と決めて、仏法を褒め広めのだ。
此の一節は王安石の仏教に対する敬虔な信条を明確に表現したもので、独りで篭って生活していなかったことも明らかにしているのだ。愛子を失ったことでの彼の落胆は非常に大きいものであったので、彼は両親と息子の王雱の功徳を買い入れられるようと、自分の私財であった田畑を寺院に嘗て寄付したのは、彼らが少しでもあの世で良い処に行くように期待したからだった。彼には《乞将田割入蒋山常住札子》がある:
臣の父と子が聖人の恩に値する処遇を得られたのは、いわば千載一遇のことであった。臣の栄禄は既に親を養える程のものであったが、息子が未だ自立もして無かった雱は不幸にも、突然先に朝露となったのだ。臣は臣の両親と雱とに連れ立って功徳を積もうと、蒋山の太平興国寺に歳課として収める為に禄からの所得と雱から受け取った金を逐次用いて、江寧府上元県の休耕田を買おうとし、本来の契約では苗三百四十二石七石七斗八合、一万七千七百七十二領、小麦三十三石五斗二升、薪三百二十束、銭二十四貫一百六十二交子を共に納めたのだ。其処で、永遠に追悼出来る様にと聖人の慈悲深くて優しい特別の許可によって当寺に常住を与えて貰うように要望したのだ。恐れ多くも天の威厳に縋り、密に働き温情を願ったのだ。如何にも止まらず。
見てとれるのは、王安石が彼の父と子への温情と両親について彼への栄禄に見合った皇帝の恩に非常に感謝したのだが、見るべきことは、子供がいるにも拘らず息子が若死にして亡くなった事に非常に心を痛めていたので、財産の一部を蒋山の太平興国寺に寺の財産として寄付することを皇帝に願い出て特別に許可を貰い、歳入を用いて両親と息子への功徳を購入することとなったことだ。王安石は私有財産を寺院に寄付することを、皇帝に特別に許して貰った時に、財産を引き継ぐ内訳を非常に詳しく記していて、此れも彼の木目細い人となりを表わすものであり、彼の皇帝に対する忠誠心の表明となったのだが、総ての財産を皇帝に示すことで、「公私の財の区別」を分からせたのは、財産の処理の上でも皇帝の裁可を得ることが必須となっていたからである。此のことから見ると彼は矢張り善業には善果を、悪業には悪果を生ずる力があるとする仏教の果報を生ずる業の力である業力と輪廻を信じていたから、功徳の購入を通じて、霊を追悼することを望み、身内の為の冥福を修めようとしたのだ。
王安石が皇帝から頂いた黄金で田を買って太平興国寺に贈与して寺の財産としたのは、聖人の延寿を祈った迄のことである。元豊七年、彼は一度の大きい病気に罹り、長い間世の動向と関ることが無かったが、自分は城中に小さい庭のある住まいを借り上げ、気前良く「半山園」を寺院として贈与したことは、彼の財産総てを仏寺に寄付したことになり、彼が臨終を迎えた時には結局は自分の家屋としては一間も所有して無かったのであり、此のことは仏教に対する彼の闊達な心と感情を十分に表現するものであった。彼には《乞以所居園屋為僧寺病併乞賜額札子》がある:
臣は幸にも希に見る平穏を得る幸運に遭った。家族を思い遣る心を大切にしようと、兼ねてより父と子のことを慮っていた。天を仰いで地に這って、感涙は耐え難い。日増しに衰弱していると言うのに、矢鱈寄付して何の足しになろうか?虫けら程の些細な願として、臣は当時住まいとしていた江寧府上元県の田舎家を僧寺と為し、永遠に聖人の長寿を祈ったのだ。謹んで許しを蒙り、名額を頂き、如何にか気持ちが落ち着き、名誉ある待遇の一時であった。威神を頼り仰ぎ見て、己を無くして報恩を誓った。如何にも止まらず。
この書簡の中では、王安石は再度皇帝から受けた知遇への感謝の念を著していて、年を取って体力も衰え、報いるべきものも無いことに溜息を付き、一軒の田舎家を僧寺となして、聖人の長寿を祈ったのだ。その後、皇帝に寺の命名を懇請し額を賜り、世にも希な処遇を受けたことを明らかにせしめたのだ。王安石は成熟した政治家であり、晩年に至っても尚頭脳明晰であったので、彼が家を諦め寺と為し、名額を賜ることを請うたのは、一方では聖人の長寿を祈ると共に、自分の忠誠心を表わしたのだったが、加えて、聖君の賢相としての一面を除き見ることも出来るので、竜虎の風雲の千載一遇の貴重な巡り合せを為したことで、変法の合理性を表明したものでもあったのだ。勿論、此れも彼の仏教に対する貢献の一つで、寺を建てること自体は容易であっても、皇帝自らに額を書いて貰い、寺名を頂くことは希な名誉に浴する至難であったのだが、実は「半山園」なぞとはお粗末なもので、神仙に霊ありと云う程山は高く無く、価値も無い名であってのだが、額を書いたのが皇帝であり、更に、大丞相であった身分がものを言い、此の禅庭が世に知られて急激に天下で仏教寺院の盛地となり、第一世代の住職として確定した克文の勢いをも高めることになったのだ。
二、模作の冷たい山
王安石は仏教と仏教芸術について非常に関心を持っていた一代の文宗であり、彼は秀でた才芸をもった僧の詩を好んで鑑賞し、其の中でも独特の風格を持った寒山に特に興味を示したので、《犠寒山拾得二十首》がある。寒山は拾得とも呼ばれ著名な詩僧であったが、生まれた年も亡くなった年も不詳で、その作品には俗っぽさの中にも上品なところがあり、ちょっとした言葉にも意味を持たせ、曹山の本寂が寒山の注釈を為した後には、白居易、王安石など多くの文人皆が彼の作品を真似たのだが、然し、其の中で本物の趣を出せる者は多くは無く、王安石の模作こそ超一級のものであったのだ。
其の一として
牛の鼻を括らず、人を踏み潰させてもよいのか?馬を手綱で繋が無ければ、思いの儘に行動し寝起きする。
乾燥地では泥んこ汚れは無く、平地では躓き難い。目まぐるしく輪廻を受けて、祗縁之疑う。
牛馬は元々寝起きも行動も気儘で、秣を貪り食うだけのものであるが、人に労働力として使われる為に、鼻を括られ手綱を着けられて自由を奪われるのだ。此処で王安石は、思うが儘に利用されて自由を奪われた牛馬に哀れみを感じさせようとした訳では無かった。牛馬が彼ら自身の意思に拘らず人の労働に使われるようになったのは、全く彼らの意思に関係無く、主に人類に脅され為されたもので、人が無理矢理人の奴隷や道具として異化を生じさせたからだ。只、仏教の善業には善果を、悪業には悪果を生ずる力があるとする果報を生ずる業力の考えに依って輪廻を捉えれば、全ての生命の運命は全て自分で支配するものだと王安石は思っていたので、牛馬も同じで、彼ら自身の十悪の一つである貪欲が人に扱使われる結末を招いたのだと説いたのだ。若し、固定観念に囚われず、自分の愚かなところを由とし無いならば、此の様になることは有り得無く、平地で転んで泥で汚れるようなことも無くなるのだ。此の様なことを知ら無いだけで、自分の愚かさが分から無ければ、生死に関る輪廻の苦しみを受けることになり兼ね無いのだ。
其の二として
私は嘗て牛馬に草豆を与えて、喜ぶ人に出会ったことがある。又、嘗て女の人に与えることで、喜んでいる男子にも出会ったことがある。
もし私が真に自分らしくあろうとするならば、長じてかくあるべきであろう。もし良し悪しが分から無いならば、当然知る限りで物の使用をすべきである。
堂々とした偉丈夫は、己の都合で物を処理し無い。
仏教は諸行無常で、衆生は無我であり、自我は恒常の普遍的実態であるべきで、そうで無ければ自身に嘘をつくことに為って仕舞う。私が生まれ変わって牛馬と生った時には、草や豆を喜んで食べることになるだろう;私が生まれ変わって女の人に生まれ変わった時には、男の人が好きになるだろうが、若し此の様な私も私に変わり無いとすれば、其の気性までも変化することは無いので、其の儘に保たれることになるのだ。仮に好悪が定めることが出来無いならば、私では無く、本来の自分とは違うものであり、漢の一人前の男としては、将に自分の本質を違えて思う馬鹿者では無い本来の自分を維持するべきであるのだ。此の詩で言われることは尤もな事だが、只余り含蓄が有る詩とは言え無い。
其の三として
凡夫が夢を見る時、様々な情景を見るものだ。此れは作為に依るもので無く、意識して求めたものでも無いからだ。今、夢で見たことと感じずに、記憶に留めて仕舞うこともあるのだ。如何しても夢の続きを見続けたいと思っても、災難や盗賊に襲われる夢も見ることにもなりかねないのだ。夢から覚めて気が付けば、全く何も得るものが無いものだ。死生も眠って夢を見るのと同じことで、此の理は非常に明白なのだ。
一切の世間の決め事は、夢幻のようなもので、露の如く稲妻の如く、全て実の無い幻である。世事は夢の如く、見えるもの全て実体は無く、作ってみても何も無く、求めても得ることが無い。凡そ夫は愚昧で然も無知で、財貨を貯えることが出来ると雖も、貪り求めることに夢中になるだけで、惟損をしないように気にかけるだけのものだ。大きな夢を見始めても、一切が虚しく感じられ、何も得る事が出来無いことが分かり、生死も亦此の様で、此の理は全く明らかなのに、人には中々分ら無い。
其の四として
風が吹いて瓦が屋根から墜ちれば、私の頭を打ち破る。瓦が粉々になっても、私も血が流れるのではないのか?
私が怒ってもしようが無いと思うのは、瓦には罪が無いからだ。
民衆が集団を作って悪を為すのは、単に生きようとする為のことなのだ。
大方のものは此の道理が分からずに、誤って罪へと導かれて仕舞うのだ。此れは忌むべきことであり、必ず思い留まるようにすべきである。
如何して判断力を失った儘にして、敵に仇を討てるのか?
世の中の全ての事物・現象は、全て生滅させられる運命にあり、本来自由など在り得無いのだ。悪事を働こうと誘われた者も、恨みと憤りの対象に当らず、悪行に加担した本人も選択の余地があった訳では無いので、彼ら自身も被害者であると言え、彼らに対して同情すべきで、彼らに報復するなぞと考えず、彼らを真っ当にする為修行させることを勧めることで、世に巡らされた罠の悪循環から抜け出させられれば、悪事の束縛から解放させることも出来るのだ。若し、此のことを疑えば、復讐しようとする者を造るだけで、報復の応酬によって馬鹿を見るのはお互いで、悪事も更に深刻化し、無意味な報復が更に多くなるのだ。此の様な恨みの応酬を正当化する人とは一線を画す王安石の思想は、仏教に源を発するのだが、更に、仇の遺恨の思いを十分汲み上げるのは、侵害者としても選択権が無く、人を害する者も一面被害者であると見るのだが、此の事は決して悪人を免じることを意味するものでは無く、思いは更に深く、深遠なものと看護出来るのだ。
其の五として
夢は実体が無いものだと言うならば、目覚めた後に記憶が残ることは無い。夢は実体が在ると言うならば、具体的事実がある筈だ。
燔柴(天をまつる古代の儀式で柴を焼き、煙を上げること)を焚けば明るくなり、耽溺すれば陰に籠る。汝を恐ろしい眼に合わせて怖がらせれば、安眠出来ようか!
すべての事物・現象には実態が有るものとも無いものとも言い切れず、実体が無い等とは軽々に言うべきでは無く、此れ等の双方の見方から離れると、実相が見えて来るものだ。夢や幻も同じで、其れらが実在のものでは無いと言っても、生々しく記憶に残っているものだ;そうとは言え、現実で無いことも確かだ。多くの事象は自分の意思とは関係無く起きるものなので、縁起の良い事であれば奮起するが、陰湿なことであれば沈んで仕舞い、余計な心配をして夢も多く見ることになって、多く夢を見ればそれだけ多く怯えることにも為るので、余りくよくよ考えずに、ごろりと横になって眠るに限るのだ。
其の六として
誰にも此れが有るが、此れは大きな評価を受けてはい無い。座った儘では居場所が定まらず、歩いていては跳ぶことが出来無い。
鋸で切っても切れず、金槌で叩いても壊れることは無い。馬には鞍を掛け、牛にはひき臼を回させるのだ。
若し見抜く力を持って無い人に尋ねても、何も得るものが無い。彼に頼もうと 遭って纏わり付かれ、鬼窟で飢えを忍ぶ結果になる。
自分の事で一つ明らかなことは、「此れ」を知って万法に従えば、事が成ら無いことは無く、何を為すべきかの的確な判断も為されるのだ。決して目新しいものでは無く、皆誰にも大なり小なり在るもので、鋸で切ろうとしても切れず、金槌で叩いても壊れることは無いのだ。「此れ」とは何かとは言え無いが、「此れ」なぞと言うべきでは無く、強いて言えば、誰にも備わる「仏性」に過ぎない。衆生が本来は持っている真理としての性質としての仏性で、故にその扱いは穏やかに、常に自在で、万事に差し障り無く、例を言えば、作牛にひき臼を回させても苦しみを与えることが無いように、作馬が荷を載せても疲れさせることが無いように配慮をするようなことである。若し要領も得ずに仏法(の力)を分ら無い人に此の問題の意見を求めれば、彼に纏われ付かれて、終には鬼窟に陥り、輪廻の苦しみをたっぷり受けて、永久に解脱なぞ出来る訳が無いのだ。
其の七として
私は万巻の書を読んで、天下に理を尽くことを知っている。智者で大物は己を知り、愚者では誰が汝を信じるか?
世俗を離れて静かに暮らす道士は珍しく、三句の中に飛び出した。ただ根源から目覚める迄で、他のものから影響されるものでは無い。
仏教を禅宗と教宗に分けた事柄の核心は仏教の妙理にあり、重厚な文章は言葉で教えることに為った。唐の五代の後には、禅宗が大いに盛んになり、教門は衰微して、宋に入ると更に甚だしくなったので、王安石は「卓越した学問を身に着けて世俗を離れて静かに暮らす道士」と吹聴した永嘉や幻覚を真似て、妨げているものを知る為に読書で道理を知って、言葉で経を外に教える方向に飛び出すことを主張して、根源から(性の本意から)目覚め始めたのだ。所謂「三句」は、経は最初の一句、中間の一句、最後の一句で経全てに成り代わり、経典の文章の代わりとして指し示したのだ。
其の八として
幸い身にこと無き時、様々に妄りに考える。張三腨は食い扶持に余裕が無く、李四は帽子の鍔が長い。
足を滑らして地獄に墜ちれば、鍋の煮えたぎる湯に身を投じられる。身を灼熱に沈めて混乱し、却って冷たさを感じるものだ。
馬鹿げた望みを抱いて仕舞い、悪行を企み、是輪廻の源、地獄への。大抵の人は此の様にはせず、平生は事が無く過ごすものだが、大それた考えをせず大抵は小さな幸せを考え暮らしているものだが、少しも徳を持たずに、様々に分別しても、結果として悪業に首を突っ込み、足を踏み外して地獄に墜ち、煮立った湯に身を投じられ、灼熱を感じてもの狂う。馬鹿げたことは考え無い方が身の為で、心に一点の迷い無く、煩悩を一切取り除いて、浄土に期すべきだ!
其の九として
一有れば二有り、三有れば四有るものである。一二三四五と続くことに、態々妨げることがあろうか?
火で手を炙るが如きに、知恵で便宜を図らなければならない。薪で暖を摂ることが分から無いのに、如何して穴を刳って火を熾すことを学べようか?凡そ数在る事物の中には、総じて世の中にとっては有為なものもある。名数は其れ自身を個別化するものに過ぎず、要は如何用いるかであって、火は手を温めることも出来、ご飯を炊くことも出来、火災を起こす危険もあるのだが、だからと言って使わない訳にはいか無いのだ。だから世の中に役立つような使い方を広げるべきで、用い方を固定してはならず、況してや不安を抱く必要は無いのだ。硬いもので穴を刳るのに金属が無ければ、磁器が代用出来る訳では無いので、火を御する能力を失い、薪から薪に火を移して行くか、或いは火打石で火を熾せば穴を刳ら無くても済むのだか、余りに面倒臭く為って仕舞うのでないか?此処で教授するものは二つの段階に分れており、一つは禅定によって、一切の煩悩・妄念を打破し心を寂静にして真理を見抜く力、詰り定力を得て無い間に、自業自得に為ら無いように注意し、人生を好い加減に過ごさないように喚起しているのだ;二つ目は基本的な知識を得た後も、未だ知恵を活かして使うまでには為って無いので、先ずは世俗の価値観を離れて考え、その後、世俗の価値観として取り入れて、仏法と世の中を一体することが出来るのだと説いているのだ。
其の十として
昨日張三に会ったが、彼が自分を大切にしないのが嫌だった。悔い改めて戻って来ても、分別が道理に合は無かった。
今日張三に会ったが、分別の心が再び生まれていた。若し、此の悪習を取り除かねば、仏法には多くの学問や徳のある人を失くすだろう。
仏教で最も力説するのは物事の是非・道理を判断する分別に不足があるということで、分別で二つの観点に分けることで中道から外れ、此の世の真実で有りの儘の姿、詰り、実相が不明となり、妄想を産んで、三業の一つとしての思考・判断・意志などの心の働きと言う意味の「意業」という言葉が作られ、人の業を惑わす本源と為り、煩悩を生む源となったので、心から分別を取り除くことを修行の一番の目標としたのだ。然し、分別を無くすことは、決して簡単なことでは無く、俗世間の事物に対する認識では、総じて分別を以って始まるので、分別を用い無ければ、何も理解出来無くなって仕舞うのだ。人は感情に走りがちで、皆は他人の過ちには直ぐ気付くが、自分のことは棚に上げて、自己保身に囚われ他人を責めれば、此の理念を一生涯掛かっても理解出来無いのだが、自ずと分別が出て、自己保身の病も拭い落とすことが出来るものなのだ。只分別を取り除くことさえ出来れば、妄想は生まれず、浮き雲は散って、聡明な日は昇って、正体を見極めることが出来るのだ。仏法を外すこと無く、念じるものでも無く、理由も無く迷うことさえ取り除けば、本当の姿は自ずと現れるもので、求め無くとも自ら明らかに為り、修めずとも自ずと良い結果が生まれるのだ。
其の十一として
傀儡は仕掛けを工夫しているので、中々見抜かれるようなことは無い。昨日は親も見に来て、私も日覆の中に入れられた。
今しがた日覆いの外に居た人も、ざわざわと呆れるほどに集った。彼らも終日騙され続け、態々銭貨を費やしたのだ。
傀儡自身が自主的には何も出来無いのに、遠眼には生き生きとしていたのは、実はすべて舞台裏で人が操っていたのであり、臨済宗の義玄の「日覆の上から傀儡を操るのが見得て、上の方から操る人の所作の凡てを眺めていた」とは仏教の教義を説いた言葉であり、この詩は此れを演繹したものだ。傀儡自身が演じているように見せ掛けるのは一つの技芸であったのだが、然し、王安石は此れに事寄せて自分の意見を述べようとしたもので、日覆いの外の見物人は舞台裏にいる人が操っているのが分らず、其れらが自ら演技しているものと思い込み、終日騙され続けているのも分らずに、沢山のお金を払っているのだと説明したのだが、全く間の抜けた話ではあったのだ。日覆いの中で舞台裏を観察し無ければ、全く其の仕掛けが分から無いのだ。劇場は小さい乍一つの世界を為しているとするならば、世の中は大がかりな芝居の場とも言え、舞台で上演するものは芸術であるのだが、舞台の上で演じた一幕毎に人を騙した猿芝居であったのだ。演技に息を抜くこと無く気迫漲り意気盛に見えるのだが、実は総て人が傀儡を操っていたのであって、善良で無知な人は毎回其の演技に喝采して、自分が騙されていることが分ら無かったのだ。本当に舞台裏の真相を見ることが出来た者が何人居たろうか?仏教からすると、一般の大衆が一切皆事物には其のものたらしめているものがあるとしたとしても、業によって流されて推移させられて仕舞うので、元来、不変の性質なぞは無いのに、何処が傀儡と違うのか?観客の為に働く者は只管喜んでくれることを願うだけで、自分も傀儡であると言う認識は無いのだ。
其の十二として
李生は心が広く誠実であり、全くの奇才であったことは間違い無い。巨匠に食事を作るなどの家事について訊くと、私に炭を焼いて来いと答えた。
炭は燃やすと出来るものだが、炭を燃やすと灰に生る。灰は土になり、思うが侭に根を生やし育てることが出来るのだ。
木から炭を作るには、木を燃やして炭とするのだが、尚燃やすと灰になり、灰は土となり、土は更に木を育て、此れこそ生命の循環である。人生も此の様なもので、大地において生まれ来て、やがて土に帰り、生まれては必ず死んで行き、一切の事象は不変で無いのだ。此のことを道理と感じ、早速生滅を心から除けば、直ちに此の身を「塵から土に作り変え」させて、其の他の生き物の命の基を体に引き受け、更に多くの生命が「思うが侭に根を生やし育てる」ように譲り渡されたことが、如何して無念で情け無いなぞと思えようか?
其の十三として
衆生が若し我に有るならば、我は如何したら抜け出すことが出来ようか?衆生が若し我で無いとするならば、死んだら蘇ることは無い。
衆生は終わること無く、仏陀の与奪に耳を傾ける。我は我を不二とは思は無いが、四天王も鉢を捧げることになるのだ。
苦のある世界である三界の輪廻が若し私にも有るならば、永劫の年月を掛けて輪廻して、何とかして生まれ変われたのだ;私には無いならば、相互に後を受け継ぐことも出来ないので、死んで仕舞うと再生すること無く、生命の輪廻も話題に上がることが無くなるのだ。私に有るか無いかは、全て偏った見方ではあるが、此のような二つの見方は、永遠の正しい道理であるとしても、永遠の正しい道理は、何もし無いで得られるものでは無く、何もし無いで得られないなら、仏陀に如何するかを尋ねて、自分が良いと思った方に決めるのだ。若し此の二つの見方を取り除くことが出来れば、私は元々不二では無いと分かっているので、心を開いて本性を見せれば、仏陀と同じく、四天王とて鉢を捧げて称賛するのだ。私に有るか無いかなぞとは、何とも下らない事で、二つの偏った見方から遠く離れて、初めて実相を掴めるのだ。両者は互いに此の世界の真実で有りの儘の姿とは言い難く、結局両極端に偏らず、中道を採れば、直ぐ煩悩は無くなるのだ。
其の十四として
張三を嫌では無いが憎らしく、李四を愛しては無いが好きである。既往のことを思っても遅きに失するのであり、未来を思うのは未だ早いのだ。
現れたと思ったら何かが更に現れて、突然稲妻の如くさっと動くのだ。嫌悪は大概磨滅するが、好きな思いを長く保つのは尚難しいものだ。
好き嫌いをさせるには、財産や宝物のように積重ねことが必要だ。初めから今に至る迄には、幾らかの悩みが必要だ。
此の詩で言いたかったのは、良し悪しや好き嫌いは人々に好くある病であり、分けられるものでは無く関連も有るのだ。実は好き嫌いには何の意味も無く、済んで仕舞ったことは、思っても仕方無いのだ;此れから起ころうとすることも、考えても仕方無いのだ;今起こっていることは、稲妻のように、瞬く間に過ぎて、捉えることも出来無いのだ。恨みは残してはいけ無いが、愛することと雖も常に維持出来るものなのか?若しも好き嫌いも世の中の財宝のように蓄積して出来るものなら、最初から今に至る迄に、更に、どれ程悩み煩うことがあろうか?感情の上での好き嫌いや愛と憎しみは煩悩の根源であるので、惜しむらくは人々は如何しても免れ得無いものなのだ。
其の十五として
志無く幸福に為ろうとすると、罪を作りがちになって仕舞う。苦しくければ楽になりたいと思い、楽しければ愛を貪る心が生まれる。
苦しみも無ければ楽しくも無く、明るくも無いが暗くも無い。三界には属してないとしても、三界の外にあるということでは無いのだ。
失意を以って退職しては、人に幸福を齎すことが出来無くなる;勢いを得て権力(権謀術数)を弄せば、揉め事を起し罪なすことになるのだ。苦しい時こそ楽しみを渇望するものだが、幸せになれば愛を貪ろうとする心が生じるものである。要するに、人生は志が有るか無いかは論外で、実際には苦しみにも楽しみにも全て何らかの苦しみが付き纏うものであり、苦しみが皆にあるとすれば、楽である者は居るべくも無いが、何れにしても全てが苦しみも受けることになるので、何れからも逃れても、苦しみも無く楽しみも無く、明るくも無ければ暗くも無いと言うことなのかも知れ無いが、超然と事に当る心構えが無ければ、諸々の戸惑いが生まれて終うだろう。「欲界・色界・無色界の三つの世界である三界には属さ無いが、三界の外にあるということでは無い」とは,禅門で好く用いる説法で、もし三界に属するならば、転落し、生死の輪廻の苦しみを受ける;もし三界を離れるならば、足下に踏ん張る場所を無くし、空しさに落ち込むと言うのだが、其処で禅宗は世間に居乍出家出来、世俗から離れずに出家出来ることを力説したのだ。
其の十六として
盗人を打つのは盗人には恐怖だが、観客は歓喜する。観客にも罪有る者が居る筈なので、くれぐれも彼を罵ることが無いように。
貧しい家庭を笑っているようでは、人間として問題がある。既に盗人でも無いのに打つべきと、如何して観客は考えるのか?
諍いがあれば、入り混じって乱れて心を見失うので、一度諍いが生じると愛憎が生まれ、心の平穏は打ち砕かれることになるのだ。皆が一切盗人に腹立たしさ感じることを無くすように、心からの説得に来て、早速喜ばれたが、愛に関わる出来事は、その実心静かに暮らしているのを邪魔することが有り、此れを罪と言わずに何とする。愛であれ憎悪であれ、喜びであれ悲しみであれ、精神に作用するものであることでは同じことである。所謂家が貧しくとも、生き方まで貧しいとは言え無いが、経済的に苦しく無くとも、物事の是非に欠けていれば、憎愛にも乏しく、彼是悩むことも無く、何事にも上の空で、心は空っぽであり、盗人にならずとも観客にもならず、特に悪も憎まず、単なる自己満足に陥って仕舞うのだ。
其の十七として
或る種の貧しさに、仕事が無いことが上げられる。若し観客となって無ければ、盗人に従うようになる筈である。
更に或る種の貧しさには、常に満腹のものがある。鬼畜であれば、こう言うこともあろうが。
これ等二種の貧しさの一つは一般的なものだが、一つは欲からのものである。普通に貧しい者は、自分の考えを持っていず、自活することも出来ず、だから他人に追随しがちだが、観客にも成れず、盗人の仲間に成り、正しい道を歩いていたにも拘らず邪道に引き摺られ、全て他人の言う儘である。欲張りで貧しい者は、心には何も無く腹は一杯であるのだが、善否に関せず、有ろうが無かろうが、何も心配せず、財が乏しかろうが、求めるものが無いなぞとは思うこと無く、幾ら満腹でも、満足はせず、欲を抑える気など更々無いのだ。この詩は幻覚の 「貧釈子、口称貧、実是身貧道不貧」とい文を演繹したものである。
其の十八として
汝は名高い者では無ければ、利益があるとみれば貪ろうとする。汝は品行が良く無い者で、利に敏いことで名を高げよう。
品行が悪いのに、如何して利で名を馳せるようか?一度土窟に身を投じれば、魂魄は散って少しは逃げるのでは。
気高さを求めず、財利を追い求める;利を搾取することで名を高めても、業績が上がる訳では無いのだ。此れも業績だと言っても、実際には誰も感心せず、喩えそうだとしても如何して名誉と利益が長く堅固に続くこうか?一度死んで土に帰れば、魂魄は逃げて散り散りになって、全てが絶えて、さすれば名誉と利益を如何に後生大事に思おうとも如何して保って行けると言うのか?だから、だから外目には貧しくとも内面を大切にすれば、自分自身を見つめ直すことが出来、本当の自分の姿を見ることも出来、満ち足りた気持ちになれるのだ。
其の十九として
孟子は勇気が有り施捨をしたので、恐れるものは無かったのだ。人が仏法を学ぶと、此のように勇ましくなれるのだ。
講座から下りるようなことはあってはならず,恐れを為しては為ら無いのだ。一切を捨て去ることが出来るなら、仏を喜ばすことも出来るのだ。
孟子が喜捨出来たのは古代の有名な戦士であったからで、孟子は自らの生き様は勇ましくあることだと言っていて、「勝てぬと思う相手にも必ず勝てるのだ。敵と背後の力量を量って、勝つように配慮することで、後に効果が出てくるものなのに、如何して必ず勝つことを諦めるのか?最早、恐れることは無い」ので,自らを正しく知る目は群を抜いていて、約束を破ること無く、勇ましさだけに頼らず、此れこそ真の勇士と言える。
孔子も「勇者に恐れ無し」と言っているので、孟子の喜捨は其の趣が深いと言うことが出来るのだ。儒家の勇気は此のようであったが、人が仏法を学ぶなら、其勇も亦これと同じようなものである。仏教の勇敢は、敵に対して勇敢なのでは無く、己を信じることでの勇ましさで、勇ましく自分の力で守り、仏法以外の凡その聖人や諸派を惑わす処も一切無く、あらゆる権威も恐れ無いので、故に経の講義を訊かずとも、禅が説くのも訊かずとも、一切を捨て去ることが出来さえすれば、得意満面に明るくなれて、抜群の自立が出来、諸仏として喜ばれ称賛されることが保証されるのだ。
其の二十として
利に敏ければ汝は針の山、愛に濁れば汝は死の川。汝が心に可笑しな分別を持つなら、早速汝は閻魔に裁かれる。
仏性を通す事に尽力すれば、一切の法は彼に従う。一切の法を行き渡らせても、行脚僧には及ばない。
激怒すれば鋭く尖った針の山で、愛に欠けているならば汚い蛆虫の泳ぐ灰色の川で、物事を正しく認識したり判断したり出来無いならば直ぐに閻魔大王に裁かれる。貪欲・瞋恚(しんい)・愚痴は仏教の言うところの三毒で、針の山や灰色の川などは全てに地獄にあるもので、琰魔羅とは、翻訳すると閻魔大王であって、地獄の差配者である。三毒は地獄への悪業として作られたものであるが、然し、王安石が此処で強調しているのは飽く迄仏教以外の地獄を意味するものでは無く、瞋怒が直針の山だと言い、貪欲は直灰色の川で、愚痴は直閻魔王だと、一生思いが此れに有り、心中に此の地獄を描くのだが、死んだら絶対に此れ以外の地獄に入ることなぞ考えられないのだ。仏教は更に三性を講じ、即ち、遍く局面で性に固執し、人に依って性を違えて、現実的に性を当て嵌める。遍く局面での性として、詰り、良くある局面として、各方面からの勝手な拘りに依って物事に対して間違った知識を得て仕舞うのだ;人に依って性が違うので、詰り、物事の捉え方は全て人に依って異なるので、此れといって決め付けることが出来ず、此れが性だと言得るものは無いのだ;性の概念を打ち出そうと、全てを予測しても根拠も中味も無いものだとすぐ分るので、人に依って夫々有るのだと理解し、そうすることで全く違った二種類の見方があることを覚え、中道を以って物事の実相を理解すれば、性を一つに捉える道を得られるのだ。三性とは大乗仏教の瑜伽の宗派の核心とする学説であると言う。王安石は行脚僧の行を本来とする禅宗に益々傾倒して行っていたので、一切は法に従うと言って、教えを教え説いたのだが、行脚僧の実修に及ぶものでは無かった。
王安石の《疑寒山拾得二十首》は寒山の詩の伝統を受け継いで、分かり易い形式で深い仏教を著すに至り、彼の仏教と禅宗に対する理解をも集約して具体的に現わし、面白い冗談を混じえて、風格や変幻自在にと沢山盛り込んで、彼の全ての詩の中でも重要な地位を占めるものに成っている。
「三、禅の詩は仏教の曲」に続く
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