以下、ちゃぬの裏韓国日記より抜粋引用~然し、以下の様なことは多くが実証されて居ることである。
中曽根首相、金丸副総裁らに招請された統一教会教祖文鮮明の1992年3月26日「東北アジアの平和を考える国会議員の集い」での言葉『日本にはカイン・アベルのような二人がいるのですが、一人は知性世界を代表する中曽根氏であり、もう一人は金丸氏です。今回行って、この二人を一つにしなければなりません。今回私は、日本の衆議院と参議院の国会議員三十人以上を一つにまとめました。十二弟子以上をつくったのです。』
※ カイン・アベル~>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%AB
☝「中曽根-金丸-文教祖」ラインの繋がりは親密さが尋常でなかったことが分かる。
原発利権とは原子力発電所が設置、存在することによって一部の人が得られるようになるという利権。原子力発電所ができるにあたって多額の税金が投入されることによりそこから利権が生まれる。利権を得られる者は政治家、企業から原発付近に住む住民にまで多岐にわたる。また、日本の電力会社は独占企業であり、原価包括方式で発電に要する燃料を高く購入すればするほど利益が出る構造から、今まで電力会社に便宜を図る官僚・政治家の天下りによる利権も生じてきた。 結果として、原発誘致などの判定に情実が強く作用し、安全性の確保が軽視され福島第一原子力発電事故のような災厄に至った。(Wikiより)
発電コストは、2011年12月13日の政府の国家戦略室コスト検証委員会報告書案によると、2010年時点で天然ガスと石炭火力が約10円/kwhであるのに対して、石油火力は近年の原油高により37円/kwhとソーラー発電並みに高くなった。ちなみに原子力発電コストは天然ガスや石炭火力と同程度の約10円 / kwhである。
『昭和四十三(一九六八)年の四月一日に国際勝共連合が設立され、私が勝共連合の会長となりました。発起人には、笹川良一先生や児玉誉士夫先生、岸信介元首相らに加わっていただきました。』
(「愛天愛国愛人」久保木修己著 世界日報社刊)
「日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった。1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている」(ウィキペディア「日本の原子力発電所」)
※ 文教祖と中曽根氏の共通点があります。
文教祖が1943年に就職した鹿島建設は、原発建設の3割を占めている。
『中曽根の次女である美恵子は、鹿島の次期社長と目されている渥美直紀(6代社長の渥美健夫の息子)と結婚している。』(2008年5月29日 鹿島建設という非常識な会社(15)「七ブログ八起き」より引用)
岸・児玉・正力は戦争のA級戦犯であったが、米国の謀らいによって死刑を逃れCIAの活動の一つ「日本の愛国議員の弱体化」のために「勝共」を組織した。その役割を担ったのが、統一教会。(CIAはロックフェラーの下部組織と言われている。)
正力松太郎は、「長期にわたるCIAへの協力(非公式の工作活動)をおこなっていたことが、アメリカで保管されている公文書により判明している。また、自由民主党総裁の座も狙っており、辺恒を参謀の中曽根康弘との中継小間使いにしていた。」☚上昇志向の事故顕示欲の塊朝鮮族か!>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8A%9B%E6%9D%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E
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