菅直人の祖父である菅實は、津山中学から岡山医専に進み医師となる。岡山県病院で研修の後、明治44年に津山市内で開業。大正2年に郷里に戻って医業を続け、久米郡医師会長、郡会議員などを歴任。一方で囲碁、俳諧の趣味も楽しみ、昭和21年に62歳で亡くなった。
昭和21年は1946年である。すると実は1884年生まれである。ところが菅直人のWikiでは實の生年月日不詳と書いている。おかしな話だ。
菅直人の系譜にはおかしなことが満載である。
〇1890年に郡制が公布された。郡は府県と町村の中間の地方公共団体として規定され、郡会が置かれ、郡会議員が選挙された。
〇郡会は町村会選出議員と郡会は町村会選出議員と高額納税者互選議員で構成し、郡参事会は郡長と名所職参事会員で構成
〇互選議員で構成し、郡参事会は郡長と名所職参事会員で構成
〇1899年郡会議員の複選制・高額納税者議員制廃止 。
〇1921年には郡制廃止法が公布されて1923年に郡会が廃止され、
※すると實は町会議員になった形跡が無いので、と高額納税者互選議員でなったとすれば15歳に満たないのに成れたのか?
他にも菅の系譜にはおかしなことが一杯あるが、此れは特に政治屋に多い捏造?ではある。
菅の系譜は極めて怪しく、菅家の菩提寺と言われる証拠写真も肝心な菅直人の実家の墓の写真は全く写っていない。
鳩山家も同じ岡山だが系譜に出鱈目が多く、如何も岡山出身は怪しい奴が多いのだ。
鳩山の系譜は江戸詰めの家老の出だと今は書かれているが?以前のWikiには足軽身分と書かれていた。
何故菅實に郡会議世員で箔を付けたか?郡会は正確には当時の権限を持った地方自治体ではなかったのに。
郡は今で言えば自治体連合の一部事務組合のような組織であり、租税徴収県も無かった自治体としての正体のない組織機構であった。恐らく創造するに、公式の名簿が残っていないからであろう。処が、箔を付けた積りが、計算違いの年齢で嘘?だとばれる結果となった。
※ 「出自は個人の資質に全く関係無い」など屡く人権主義者や団体は言うが、そんなことは人間の本質を外した戯言である。「出自は人の人格形成や信条に大きく関与」する。生まれや育ちによって凶悪犯の「死刑回避」を叫ぶのは「人権?」主義者の何時も使う常套手段ではないか!「人権」を唱えるものは「人に対する情」を「自己権益」の何某かの為に玩んではならないのだ!⇒「光市母子殺人事件」の弁護団及び反日キリスト教団
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