確認申請を出してから、既に三十五年間が立った。何時工事が終わったかも知らない。我は、ほぼ十年間ほとんどこの宅地の我が家に居ず、仕事で主に東京や大阪で過ごしていたので、此の未完成の状況が何時から続いたか分からない。改めてみなければ、此の農道の異常な完成も感じず二十数年暮らして来たことが不思議である。良邦氏の父の良徳氏が計画を立て此の農道を前にする三軒の敷地の処分を苦慮して農業組合や阿蘇町と交渉していたことを示す何処で如何手に入れたか分からん書きものが我が家に残っている。其の一枚に現大石宅地への幅4.02mの侵入路を描いた書き物もあった。然し、農業委員会に出した農地転用の書類などは、良邦家に在るとみられ、土地改良区や町役場との折衝の類の書類は一切ない。此のことから分かることは、様々な関係団体との折衝は良徳氏自身がされたものと窺える。此れは、農地転用の許可を受けてから売主は初めて買い手に宅地化した敷地を売れる定石である。
処で、此の農道は阿蘇町の時、昭和58年に完成された。我が家の確認通知は平成5年3月8日に受けており、其の添付図面には、農道が舗装道路幅4.0m+外幅蓋付公共溝渠0.9m(総幅4.9m)と描かれていた。我は此の時の農道の地盤高は、今より0.5~1.0低く、田圃は今より1.0m以上高い(2回の大水害で田圃には砂利や大石が多く流れ込んだので、此れを取り除く為田圃の底は最低1.0m低くなったと認められる)になった違いない。此の推量は粗当たって居ると思われる。
良邦氏宅からの湧水は、水流と成り田中厚子氏の田圃への用水として利用されてたが、恐らく良邦氏宅地からの湧水減水に加えて農道の0.5~1.0mの嵩上げに完全に用無しと成り其の底地権の公共化を残し消滅した。現在用水は、市道山側からの溝渠から利用してる。
現在の此の農道の状況は👇に御覧の通りで、良邦氏前の農道は先に記述した通りだが(畑地には接道義務はないが、市道と接合させ幅4.0m以上の道路手する義務がある)、結果、我の敷地全延長約36m残して(我の敷地地前の農道嵩上に依る大開溝を他地域からの治水排水溝としても利用する全く馬鹿にした結末)終わっている。然も、此の大開溝の末端からΦ600のヒューム管が河川管理道路までの20mの農道下に河川に向かってきちんと埋設されているのは如何いう訳か?
待てよ、考えると、宅地前の大開溝に排水溝渠等を入れるのは接道義務に関係ない将来市道として引き継がれる道路工事としての通常の工事であり、住民自身の通行量もその回数の頻繁はそう市道と変わりがないことからして余りに道路管理が酷過ぎる。こうしてみると、単なる公道工事であり、然も、我宅地前を素掘りの大開溝の儘に40年近く其の儘に放置できる行政は如何なる神経をしているものか?更に換地処分からも既に30年も経っているのに、今度は阿蘇市総務課長や市長から大開溝に溝渠入れて貰いたければ金払えと行き成り言われた。市には金を払う約束をして無い筈であり、市にはそういう規定も無いのだ。.人為的に酷い目むに遭わされ馬鹿にされた我は、市の反感を受ける思いは無いのである。
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山側市道らの農道全系
手前左が良邦家畑
全く幅4.0mに大きく欠ける
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わが家敷地だけ大開溝
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何とちゃっかりΦ600配水管が農道に20m埋設されてる
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