前回👇
ロヒンギャについての或るブログ記事を👇に引用する。
「ミャンマー西部ラカイン州,特にその北西部に多く居住するムスリムの民族集団。ラカイン地域では 15~18世紀に栄えたアラカン国(ムラウー朝)の時代から,仏教徒とともにムスリムが居住していた。その時代のムスリムを基盤に,19世紀以降のイギリス領下でベンガルから移住したムスリムと,1948年のミャンマー独立前後に同じくベンガルから入ってきたムスリムが混合し,その一部が 1950年頃から単独の民族ロヒンギャを名のるようになった。その詳細な成立過程は不明である。ミャンマー政府からは,バングラデシュからの不法移民とみなされ国籍を付与されていない。ミャンマー国民の多くからも土着民族として受け入れられず,政府,国民から排斥や抑圧を受け続けている。ラカイン州に住むロヒンギャの多くはゲットーのような収容地域に隔離されている。1970年代後半と 1990年代初頭,それぞれ 20万人規模の難民がバングラデシュに流入し,国際的な注目を浴びた。21世紀に入っても事態は変わらず,2015年5月にはタイ南部の沖合いでロヒンギャ難民を乗せ漂流していた多数の木造船が発見され,インドネシア・マレーシア当局により救助された。彼らは国際会議での協議を経て両国により 1年間の期限付きで保護されることとなった。 」
▮色で書いてある記述部分と其れに基づく後に続く記述は、誤りである。アラカン国で仏教国と住んでいたのはベンガル人で彼等は当時ムスリムで無く、ヒンドゥー教徒であった。色々説があるが、ラカイン州に居住するミャンマーのムスリムベンガル人のロヒンギャは、英国が当時の緬甸を英領印度に併合した期間にベンガルから侵入したというのが真実であるとすべきである。
緬甸は1948年仏教國として英国から独立すると、ロヒンギャを国民と認め無かった。孰れ、緬甸の歴史を観ると仏教徒が主流で、其れ故、異教徒との軋轢は続いた。伝統文化生活慣習等が同地域で「共生」することは、米国の様に様々な国から白人を開拓者として受容れた多民族国家を承知で建国した国と、旧世界の大陸の陸続きの国とは、民族に対する拘りは大きく異なるのだ。
国家は元々排他性を持つものである。寧ろ、排他性があるからこそ国家が在り、其の証拠に外国とは絶えずお互い対立する利害関係にある。今のロヒンギャの問題で、国連がミャンマー政府を「民族差別」を理由に責めるのは、国連が「国家連合」であることからすれば、全くの筋違いなことであり、内政干渉甚だしく、此れも伝家の宝刀宜しく「グローバル主義」の賜物?なのだ。
ロヒンギャ問題の解決は、寧ろバングラディシュに負わすべきであり、ならばミャンマー政府を責めている国連や国々は、バングラディシュに経済援助など支援をしてロヒンギャを受け容れさせるべきである。
今回の論稿を基にして、次回は日本に居住する朝鮮族の問題を解析して行く。
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