現状の国会議員を選ぶ制度は、この国の問題解決につながらない。周知の通り、ひとり一票ではないので、憲法違反でもある。住んでいる選挙区ごとの、定数が、平等でない。民主主義の根幹制度である、選挙が、差別状態である。
この状態を、国会議員は、自分で解決する能力がない。この結果は、以下の様なことになる。国益を考えなければならないのに、ローカルな利害でしか、議員活動ができなくなっている。世論調査と国会議員行動にずれが起こっている。だから、議員の手当を削減しない。黙り込んでいる。こそくな連中である。SONZAIKACHI ARUNOKA?
公務員については、国家公務員の給料が削減されそうな雲行きになった。次は、地方公務員の給与問題である。地方公務員の給与は、地方平均民間給与の2倍近くである。それに見合う、行政サービス品質を提供できているのであろうか。そうであれば、その地域に住む人民は、納得するであろう。また、給与に見合う仕事をしているのであれば、説明すれば良い。実態は、自信がないので、こそこそしているのではないか。議員も、給料が安いなら、人民を納得させれば良い。それもしない。
だが、問題は、給与の高い低いではない。すべての人民の所得は、高いに越したことはない。引き下げるのが目的ではないはずだ。所得と教育水準は、高めるのが良い。さらに、金だけではないはずだ。精神の豊かさの実現が、最終目標だ。
我が国民は、心から平和を願う国民である。どうかして、未来の戦争に巻き込まれない方法はないものか。
アメリカ人は、意思を示す。
日本人は、意思を示さない。
意思を示せば当事者となる。
意思を示さなければ、傍観者となる。
我が国は、'世界にあって、世界に属さず' (in the world but not of it) の状態にある。
意思を示せば責任の問題が発生する。
殺意を示せば、殺人罪に問われる。
殺意がなければ、たとえ人は死んでも殺人罪には問われない。死刑執行人のようなものである。
意思は未来時制の内容である。
英語には時制があるが、日本語にはない。
アメリカ人には意思があるが、日本人にはない。
日本人には恣意 (大和魂と呼ばれている) があるが、これは子供、アニマルと同じ状態である。
意思は文章になり、公言・宣言にもなる。会議での議論も可能になる。
恣意は文章にはならず、小言・片言・独り言になる。密室談合による、恣意のすり合わせの材料になる。
議会にはリーズナブルな結論が必要である。
密室談合には、ただの決着が必要である。意義はない。ただもう済んだことである。歴史は教訓となることはない。
意思を示せば武力による解決策もありうる。
意思を示さなければ、武力の被害者にはなっても、加害者になることはない。
無為無策の状態にとどまっていながら他力本願・神頼みの習慣が身についていて、言霊の効果の現れるの心待ちにして祈っている。
神風は本当に吹くのか。核兵器は本当に消滅するのか。
意思のない人の語る理想は、奇麗ごとになる。
意思のある人は、たとえ武力行使を行っても、戦争に巻き込まれたことにはならない。
自分の戦争ということになる。
曲学阿世には誠実さが見られない。指導性を発揮することもできない。
しらじらしい限りの人格である。とかく、この世は無責任。
我々は、このような人間像から一日も早く脱却しなくてはならない。
我々は、責任を負うことのできる人間を育てなくてはならない。
そうでなければ、理想の世界を目指して前進することはできない。
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