熊野古道、世界遺産20年 持続可能な知恵が訪日客を魅了
NIKKEI The STYLE
熊野出身の作家、中上健次(1946〜92年)は生前こんなふうに言った。
「近代から取り残され一番遅れた熊野は、本当は1等強いメッセージを世界に向かって発することができる場所だ」。
中上健次さんは人間が大き過ぎて、わたしには理解できていない。
しかし今日の話題は、そんな中上さんの話ではありません。
熊野の話です。
日本一長い路線バス
熊野古道がある、紀伊半島への旅では、奈良交通が走らせる「日本一長い路線バス」が有名です。
長い旅だった。
このバスには2度乗った。
1度目は母親の実家に泊まるために。
2度目は湯の峰温泉に泊まるために。
(この時は、川湯温泉にも浸かったのを覚えています)
この温泉地は、母親の実家の近くにあったのだろう。
1度目は、(十津川村)平谷口で乗り換えて?、至近のバス停から木が茂った山道を歩いて上がったのを覚えている。
バス停に商店があった。
その軒先にバス停の表示板がぶら下がっていた。
今、家屋はないが道路が伸びているそうだ。
2度目は宿の前にバス停があった。
宿の中の雰囲気も覚えている。
初めは、奈良県庁前の大仏前が始発だった。
*現在は、大和八木駅です。日本一長いことには変わりありません。
県庁は木造だったのを覚えている。
始発は朝の8時15分だったか。
車内ではラジオが聞けた。
車内に車掌さんがいた。
自動車が普及すると山中の国道を車で行った。
小学生低学年時は、未舗装路であった。
大仏前で行われた開通式=1963年3月1日、奈良交通提供【時事通信社】
開通当初の奈良側の起点は奈良市の大仏前だった。大仏前発、新宮前発がそれぞれ1日2便。運行距離は196.1キロ、終点までの所要時間は約8時間余で、映画が350円の時代に終点までの運賃が915円だった。
熊野古道
上記の家庭環境にあった私は、熊野古道も知る。
熊野那智大社に通じる大門坂の石畳は樹齢800年を超す杉の木に囲まれている(和歌山県那智勝浦町)
熊野本宮大社。
かすかに覚えがあります。
瀞峡のプロペラ船には乗っていますが、最新のジェット船は知りません。
川に浮かぶ船体、船内を覚えています。
プロペラが回る音も。
プロペラ船の前はいかだでした。
古道のハイライト、落差133㍍の那智の滝。その迫力に感嘆の声があちこちから上がる
那智の滝も見ているはずだと思いますが。
中学時代には、田辺に抜けて白浜温泉、あるいは新宮に抜けて、
勝浦温泉に泊まったことを覚えています。
この地は、我が家のルーツでもあるので、これからの旅先候補ではあります。
5月、1100キロを走破してもカラダに異状はでなかった。
ちょっと、行けるかなと思っています。
*東京から那智勝浦には、フェリー航路ありましたが、
廃止されて20年ほど経ちます。
(注)
青字と写真の一部は日本経済新聞と時事通信社。
他の写真と図は、地元観光協会HPよりお借りしています。