同じ金を使うのなら、雇用を支え、防災と新エネルギー開発に資金を向けて欲しい。そのほうが、広く長く人民の利益を実現できる。また、この動きを支援する報道がないことが象徴している。だが、既存の勢力がそれを邪魔している。既得権益の確保が狙いだ。新聞放送は、旧体制の思想宣伝機関である。円高だから、日銀に一層の金融緩和を求める声がある。円が、独歩高だと主張している。だから、日本円の紙幣をどんどん印刷して、可能な手段を駆使し、市中に円を供給すべきだという。円が多くなれば、円の価値が下がり円安になるだろうと主張している。
さて、この意見は、安心社会を求める絶対多数の人民にとり、利益になるのだろうか。円安は、国富の下落である。円高は輸出に打撃である。逆に輸入には追い風となる。日本は外需国ではない。輸出立国でない。内需国である。国内の製造業が減少するのは、今に始まったわけではない。過去20年では、製造業従事者数が、一番減少している。日銀が資金を供給しても、将来の期待がないので、滞留したままだ。
日銀には、円を印刷するだけでなく、資産を買うべきだとも主張している。国債に始まり、不動産債権の購入も増えている。だがしかし、安全資産である国債ではなく、リスク資産を増やすと、資産価値は変動しやすい。国債そのものも、暴落危機にさらされているのが実情である。さらに、日銀がリスク資産を買っても、売り主体の懐を温めるだけだ。売り主体は投資家である。社会全体への貢献はない。
税金を使って金融産業の崩壊を防止する。また、紙幣を印刷して、財政破綻対策基金を創設する。何故、金融産業は常に巨額損失を発生させるのか。何故、国の財政破綻は起こるのか。ここを除去しない限り、問題は先送りのままである。人間の本能は一攫千金。だから、自由主義経済である資本主義と人間は親和がある。人間が人間でなくならない限り、恐慌は続くのであろうか。それは見果てぬ夢?