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(12月5日、福岡市博多区博多駅前 松月亭にて)
元旦に牛蒡料理を作ったと書いたが、実は、きっかけがあった。
先月12月日本滞在中、博多の和食レストランで食べた「牛蒡サラダ」だ。
上の写真、食べ始める前に撮れば良かったが、気付いた時には、
ムシャムシャ食べていた。
味も良かったのだが、その食器に、ハッと静かな感動があった。
有田焼。
有田焼の大皿にサラダが、、
良かった。
ここで、改めて、食器と食べ物について考えた。
人間、極度の腹ペコ状態であれば、鍋から手づかみで飯や汁を食らい
あぁー、うめぇということになろうが、今の世の中は、幸いなるかな、
いや、少なくとも、私の周囲を見回したところ、そういう飢え状態の
人はいない。
北大路魯山人という料理人・陶芸家・美食家が、その著書「料理する心」
「食器は料理のきもの」などで書いていた。
、、つまり、食器は食物の容れ物であると同時に、趣味のきものであるからで
あります。中身さえ美味ければ、容器なんか何でもよい、容器は食えるもんじゃ
ないからと言うのは、きものは暑さ寒ささえ凌げれば良いという実用面だけを
強調する議論と同じでありまして、、
、、絵画のような独立した芸術でありましても、表装と表具という絵画のきものが
要ります。その裂地も限りなく吟味されております。いわんや料理のように独り歩きの
出来ないものにおいてをやであります、、