「ブラック企業」、どことなく他人事だと思って聞いていたニュース、本書にはそれが誰にでも起きうる出来事として描かれ、その被害にあった経験をもとに、新たな被害者を自ら救い出そうとする主人公を描く。
作品はオムニバス風短編集だが、一つのブラック企業を巡るエピソードを取り囲むように起きている出来事を別の人物の視点から描き、ブラック企業の不条理に押しつぶされてしまって「自殺するくらいなら逃げろ」とメッセージを伝えようとする。
村沢、大友、夏野は同期入社の新人、働く職場は厳しい電話、訪問、案件獲得のノルマを課す。無賃金残業や夜討ち朝駆け営業は当たり前、ノルマを果たせないと新人であろうと上司に他の社員の前で罵倒されて、プライドも何もずたずたにされる。夏野はそんな状況に耐えきれずに自殺、その仲間を救えなかった村沢は罪悪感に苛まれ、自らは退社、その後派遣社員で数年間を過ごす。
その三人が、激務を終えた一瞬の隙間に居酒屋で冷えたビールを飲む。「こんなうまいビールを飲むのは生まれて初めてだ」と呟いた、その言葉に居酒屋で働くシンジは働くことの感動を知る。居酒屋は全国チェーンで、バイトだったシンジは正社員に登用され店長を任される。その後、初めて知った感動をバイトにも伝えて、彼の店は売上を伸ばす。しかしその居酒屋チェーンはブラック企業に買収されシンジは退職。同僚だった仲間と新たな居酒屋で働く。
夏野の父は息子が自殺したあとも会社を勤め上げて定年を迎えた。息子を助けてやれなかった自分を責め続けるが、同期の砂岡は役員に昇進しても定年まで仕事を続けた夏野を買っていた。送別会のあとにチンピラに絡まれるが、正義感あふれる警官の脇見に助けられ、励まされる。そしてたまたま入った居酒屋がシンジたちの居酒屋、シンジにも励まされた夏野は新たに雇用延長で砂岡の期待にもう一度応えてみようと決意する。
警官の脇見は交通課に配属されるが、「ワキミ」という名前で安全講習会の講習をするハメになる。それでも無心になって名前を逆手にとった講習で評判を取るが一生懸命になるあまりにリアルな描写もありクレームも多い。新人時代に鍛えられた大先輩の小山内にはパワハラまがいの訓練を受けたが、それが身になり今につながっていると信じている。理不尽な住民対応に耐えられるのもそうした教えのおかげである。道端でチンピラに絡まれていた夏野を助けたのも、そんな小山内に教えられた信念を実行に移したまでである。
美人教師の有村、軽音楽サークルを指導して全国レベルに押し上げたことでマスコミに取り上げられ有名になったおかげで、昔、出来心でバイトしていた下着ビジネスの客に昔の写真をネタにゆすられることになる。付きまとわれるが、勇気を出してストーカーを警察に突き出す。SNSの普及はとんでもない事態を招くこと、思い知ることになる。
そして、村沢は同期の夏野の死後8年目、派遣先で自分たちと同じような目にあっている新人に、職場から逃げ出すことを勧めるが、パワハラを「鍛えてもらっている」と信じ込むナガツは余計なお節介をするな、と村沢を避ける。それでも絶対にナガツを自殺なんかに追い込みたいくないと、上司のニドウ部長と対決、ナガツの目を覚まさせるまで徹底的にその職場でニドウ部長と戦う。同期だった大友とも相談しながらナガツ君を救い出すことに成功する。
パワハラ、ブラック企業、ストーカー被害、昔の研修と現代の状況の格差、高度成長時代の日本と現代社会との違い、などいくつかの切り口を読者に示しながら、不条理な社会問題を提示する。こんな目にあっているのは自分だけではないんだ、という若者への暖かなメッセージと解釈、一人でもそんな若者を助けたいという作者の気持ちが伝わる。