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意思による楽観のための読書日記

地名の謎を解く 伊東ひとみ ****

地名には歴史と文化が埋め込まれている。方言や人名より長く残るとも言われるが、明治維新による廃仏毀釈と敗戦による神道排除、平成の町村合併はその地名の歴史を見えないものにした可能性がある。

平成の大合併で多くの新たな地名が生まれた。地名にブランド力をもたせたいとの思いから、「豊幌はみんぐ町」「江別市萌えぎ野、江別市ゆめみ野」「新潟市西区ときめき東、西」「東根市さくらんぼ駅前」「南アルプス市」。誤植のように見える「高知県吾川郡いの町」。ひらかな町名では「みどり市」「さくら市」「つがる市」「かすみがうら市」「つくばみらい市」「さいたま市」「いすみ市」「あま市」「みよし市」「さぬき市」「東かがわ市」。新たな市の範囲が従来からの地名より広範囲に及ぶため平仮名表記にしたケース、そして夷隅は夷(えびす)が野蛮人の東夷につながるので平仮名表記にしたケース、イメージを良くしたいだけで特に地名と結びつかないケースも有る。

誇大表示気味なのは「山梨市」「甲斐市」「甲州市」「中央市」「伊豆市」「伊豆中央市」「伊豆の国市」「四国中央市」など。隣接する自治体よりもできるだけ大きく感じたいという気持ちが現れたのか。方角だらけなのが「西東京市東町、南町、西町」。

大名が自分の思いでつけたものには、井口と呼ばれていた地名を織田信長が中国の故事に従い、鳳凰が舞い降りたとされる岐山と孔子の生まれ故郷である曲阜から「岐阜」。北之庄と呼ばれていた地方を家康の孫である松平忠昌が北は敗北につながると「福居」にし後に「福井」。福島は元は杉目、杉妻、これを戦国武将が縁起をかついで福島に変えた。

明治維新の神仏分離では、権現や牛頭天王。明神、妙見という仏教由来の使用を禁じたため、権現社はすべからく神社と呼び、八坂神社ももとは牛頭天王を祀る祇園社、鷲神社も元は鳳大明神社、神田明神も神田神社に、千葉妙見宮を千葉神社などと呼び替えたが、いつのまにか元に戻っている。日本人が無宗教になったのは、この明治維新の廃仏毀釈と第二次大戦敗戦後の国家神道体制の否定にあると言われる。江戸時代までは神仏習合が長く続き、神仏をともに信じるのが心の習慣であったはずである。その名残は冠婚葬祭にある。

日本という呼称は、それまで中国からは、朝貢した使者が自分のことを「我(わ)」と読んでいたため「倭」と呼ばれていたのを、天武天皇、持統天皇時代から、その時代に定められた飛鳥浄御原令と大宝律令では列島内の地名を定め、畿内(山城、大和、河内、摂津、和泉)、七道(東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海)とした。その道の下には国、郡、里があった。近江、信濃、飛騨、尾張などは令制国として名付けられ今でも残っている。

その後、元明天皇時代に風土記編さんを命じた際に、地名は「好字二字令」にせよと命じられたため全国的に地名を二文字に変えた。倭は大和、紀の国は紀伊、粟は阿波、上毛野は上野、下毛野は下野、泉は和泉、津は摂津、近淡海は近江、遠淡海は遠江、吉備道前は備前、多遅麻は但馬、波伯吉は伯耆、无耶志は武蔵、針間は播磨など。そもそも風土記は租庸調を徴税する際に、各地の名産品を把握するためだったという。

面影を失うような呼びかえも歴史の中では行われている。日光にある二荒山神社、元は男体山を観音菩薩が住む補陀落(ふだらく)山と呼んだところを、二荒山と呼び、二荒山をにこう(日光)と変遷してきた。六甲山も元は武庫、ムコ、六甲と変遷、白馬岳も元は雪形に現れた代掻き馬からしろうま、白馬、ハクバと変遷してきた。

難読地名の京都にある「一口(いもあらい)」、元は巨椋池にあった半島状の地名で、出口が一箇所しかなかったため一口となり、その地に痘瘡平癒を祈った神社があったため、痘瘡の呼び名であったイモを洗い流す意味で、イモアライ、これが一口と書かれるようになった。東京神田にある「いもあらい坂」は現在では淡路坂と呼ばれるが元は京都の痘瘡神社にちなんでイモアライと呼ばれていた。奈良橿原神宮にあるいもあらい地蔵も一口に因んでいる。難読「宍粟(しそう)市」ももとは鹿の沢でシカサワ、この音に宍粟の字が当てられたのが播磨の国風土記。難読地名では、対馬市厳原町豆酘(つつ)、宮城県遠田郡美里町中埣(なかぞね)、石川県羽咋(はくい)市、上野原市棡原(ゆずりはら)、和歌山県学文路(かむろ)村、愛知県挙母(ころも)市、京都府間人(たいざ)町、茨城県行方(なめかた)市など。神戸も兵庫のコウベ、三重県のカンベ、鳥取のカンド、岡山のジンゴ、東京のカノト、その他コウト、ゴウトとも読まれていて難しい。

縄文時代の呼び名が残っているのが湿地を表す「ヤツ、ヤト」谷津、谷戸、「ニタ、ニト」仁田、二戸、「ヌタ」沼田、「ムタ」牟田、「クテ」長久手、「フケ」福家、「スワ」諏訪、足羽など。万葉時代の枕詞が残るのは、「春日」「飛鳥」「長谷」「日下」など。

地形に由来する崖を意味する地名は、生活の場とする際には気をつけなければならない。ヌケ抜谷、抜沢、ノケ野毛、野下、ツエ津江、杖立、ホキ、ホケ保木、甫木、保家、ハガ芳賀、羽賀、ハケ端気、八景、クエ久江、久重、その他蛇崩、蛇抜など。

渡来人に因んだ高麗、狛江、上狛、新羅から新座、秦氏に因んだ羽田、波田、八田、太秦、漢氏に因んだ綾部、綾瀬、綾野など。古代の部の民、服(はとり)部、陶(すえ)部、土師(はじ)部、弓削(ゆげ)部、麻績(おみ)部、錦織(にしこり)部、倭文(しとり)部、伊福(いふく)部、たたら製鉄にちなんだ多々良、金原、鉄穴(かんな)、吹屋などに由来する各地名も多い。

朝鮮語に因んだとされるのは、諸説あるがシキ(城、砦)が志木、敷、磯城。プリ、プル(村)からは振、触。大きな村を意味するコオリからは郡、桑折、小折、古織。

合成地名では忍草村と内野村が合併してできた忍野村、大森と蒲田で大田区、昭和町と拝島村で昭島市、小川町と美野里町と玉里村で小美玉市、国分寺と立川で国立、墨堤と隅田川で墨田区など。

地名の由来から多くの歴史と文化を知ることができるという、ありがたい一冊。

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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