黒人作家のボールドウィンが本書を書いたのは1974年、人種差別を禁止する公民権法が制定されたのは1964年。しかし、その後も、過激な活動家マルコムXが暗殺され、非暴力運動を貫いたキング牧師が暗殺されたのは1968年。21世紀になってオバマ大統領が当選、アメリカもようやく変わったかと思われたが、直後の大統領はトランプ、白人優位意識がまだまだアメリカで勢力を持っていることを改めて思い起こされる。
原題は”If Beale Street could Talk”、ブルースのクラシックとも言えるハンディの「ビールストリート・ブルース」に由来するとされている。ブルースの古典であると同時に、アメリカに住む黒人の魂の象徴であると作者がつけたタイトルである。
本書の舞台はニューヨーク、主人公は若い黒人のカップル、男性は21歳のファニー、女性はティッシュ、彼女の口から物語は語られる。二人は幼馴染、家族同士も仲良しで、二人は自然に結ばれたが、ファニーはティッシュをこの街の悪党たちや心ない白人たちから守ろうとして、暴力的に振る舞ってしまう。NYCの警官たちはこうした若くて元気のいい黒人たちを警戒し、何かあれば逮捕して勾留、場合によっては裁判にかけてしまうことを厭わない。
二人で住むことになるアパートを探して街を歩いていた二人に若い白人のチンピラがちょっかいを出し、それを見た警官のベルがファニーが暴行を働いたとして勾引しようとし、見ていた白人の婦人の証言で無事に逃れる。しかしその警官はファニーに目をつけて、その後何かにつけて因縁をつける。ティッシュはファニーの子供を身ごもるが、その直後、ファニーは全く身に覚えのない婦女暴行罪で逮捕され勾留されてしまう。警官のベルは執念深い人間だった。検察に手を回し、被害者女性にファニーが犯人だと証言させて、彼女をプエルトリコの故郷に返してしまう。
ティッシュの家族は赤ちゃんができたことを喜び、なんとかしてファニーを留置場から出してやらなければと八方手を尽くす。ファニーの父親も努力するが限界があり、ファニーの母と姉妹たちはティッシュに子供ができてしまったことに理解を示さない。ティッシュの姉はニューヨーク市立大学を出て街の施設で働くインテリ、ファニー救出のために弁護士を探し出し、方策を練る。
物語で語られるのは、ニューヨークでの黒人をはじめとした有色人種たちへの理不尽な取扱い、貧困、差別、救いのない生活、それでもお互いを気遣い守ろうとする家族愛である。
トランプ大統領によるメキシコ国境でのフェンス建設や移民制限、貧困層に向けての健康保険法改悪などなど、オバマ大統領による民主化政策の時計を戻す「逆コース」であることは明らか。学生時代に読んだ「アメリカ合州国(本多勝一)」や白人は悪魔だとして暴力的運動を行っていた「マルコムX自伝」などを思い出す。当時よりも事態は改善されていると思うが、アメリカでの一部白人層の貧困化や有色人種の増大など状況は複雑化している。アメリカに黒人が連れてこられたのは国の開拓に必要な労働力確保だったことを思えば、現代日本の改正入管法が、新たな差別などの社会問題につながることがないよう、大いなる叡智と経験を活かした施策が必要だと感じる。