一体何が裁かれたのであろうか、というのが筆者の叫びである。本来は国民に隠された沖縄返還に当たっての負担金は本来開示されるべき情報ではなかったのか、という社会党による自民党政府への追求であった。それが、「情を通じた」女性を通じてニュースを書いた記者の社会正義は許されるのか、という問題にすり変わり、さらには女性事務員のプライバシー暴露により、国民の関心はもっぱら男女間のモラル問題に移行してしまった。蓮見事務員は「もうこれ以上騒がれたくない、そっとしておいてほしい、できれば忘れてほしい」と言いながら、週刊誌のインタビューに夫と共に度々登場し、西山記者の立場を攻撃した。西山記者はニュースソースを結果的に暴露することになったことを大いに反省し、蓮見事務員による男女関係に関する部分には一切反論しなかった。しかし問題とされたのは取材方法の是非と結果として情報源を秘匿できなかったこと、これは世間から西山記者が攻められても守りきれない「情実」の部分、国民の知る権利という「理」が情実に勝てなかった、これがこの裁判であった。
時の総理大臣は佐藤栄作、永年総理を経験し、沖縄返還でノーベル平和賞を受賞している。新聞記者嫌いで有名であった佐藤栄作は引退記者会見会場から新聞記者を追い出したエピソードで有名である。西山記者は毎日新聞紙上に度々政権批判記事を書いたことで、佐藤首相は西山記者を目の敵にしていたという。その西山記者の裁判であり、検察への政権からのプレッシャーはあったのであろうか。また一審は判決を控訴し、高裁で有罪に持ち込んだプロセスに当時の首相の圧力はあったのであろうか、ほとんどの関係者は現在存命ではなく、知っている弁護士たちも「墓場まで持っていく」と言っているらしい。
沖縄の基地問題、日米安保条約の事前協議の運用、国民の知る権利、情報漏洩問題、沖縄への核持ち込み疑惑、外務省の情報隠蔽体質など、事件から40年たった現代でも全く同じことが起きている。外務省と政権党により存在が否定され続けてきた密約の存在は、2005年5月、琉球大学の我部政明氏がアメリカの国立公文書館から、密約があったという文書を発掘し、それを朝日新聞が報道したことにより明らかになっていたが、昨年にはこの密約が本当にあったことが日本側の情報開示からも明らかになった。今につながる多くの問題を示してくれている力作ノンフィクションである。
密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)
運命の人(一) (文春文庫)
運命の人(二) (文春文庫)
運命の人 3 (文春文庫 や 22-8)
運命の人(四)
![](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_2308_1.gif)