圧巻は最後のところで、二人が自分の信念を貫く中で家族を守ることが難しい、日本ではできない、ということを互いに吐露するところ。お二人の本音がでて、実際の対談では涙で声が震えたという。野中さんが「このごろもう疲れちゃっているんだ。自分の出生問題の波及の大きさ、日本の閉鎖性と僕はずっと戦ってきた。自分の出自が明らかになることで家族が冷たい仕打ちを受けるようになった」これに対して辛さんは「二十歳のときに本名で生きることを宣言したが、母親におまえは日本の怖さを知らない、と言われた。マスメディアに頻繁に出るようになると、実家にも嫌がらせがくるようになった。しばらくして母親からは日本名で暮らしたい、と頼まれて、受け入れざるを得なかった」
野中さんは今では政治家をリタイヤしているのだが、奥さんは一緒に食事に行ってくれないという。有名な野中広務さんは人に取り囲まれるからだ。辛さんは、日本では小泉さんや竹下さん、石原さんの息子達が芸能界で人気者になるが、野中さんの娘も人気者になれるだろうか、と問題提起する。差別は、する側からすれば『享楽である』という辛さん、野中さんが戦後未処理問題を誠実に解決していくことが政治家としてやり残した仕事だ、というと、在日朝鮮人はいつも日本の政治家達の視界からはずれている、と指摘。野中さんはそれを認める。ハンセン病問題、人権擁護法案の挫折、女性の社会進出支援などについての対談は、他の自民党や民主党の政治家達だったらどう答えているのであろう。
辛さんが定義する日本の政治家に必要な資質は、将来ビジョンや政治理念などではなく、問題解決力や勢力間の諍い調整力だという。野中さんには政治的信念はあるがビジョンはなさそうだ。しかし、問題解決力、調整力があり、他人の痛みを感じられる政治家として自民党の幹事長まで務めたのだろう。差別は今でも厳然として存在する。人との違いを見つけて力とお金がある側がそうではない側を差別する、二人とも一生をかけて差別と戦う人である。
差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)
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