意思による楽観のための読書日記

家庭と幸福の戦後史 三浦展 ****

日本の「幸福」観はアメリカの「幸福」観を20年遅れて追いかけてきて、今行き詰まっている。アメリカのそれは20年前に行き詰まり、エンロンやワールドコムの経営倫理破綻が企業破綻を招いたことに続いて、利益追求をしてきたリーマンが破綻、そしてアメリカ労働者を支えてきた代表企業GM、クライスラーも破綻した。アメリカは経済自体も破綻状態になった。

20世紀はアメリカの世紀とも言える。20世紀初めにフォード、GMが誕生、製造業モデルがスタート、大恐慌で一時停滞するが、その後1939年に開催されたNY万国博が一つの転換点であった。NY万博では大規模郊外型住宅とそこに住む家族、という理想的ライフスタイルが提示され、職場であるダウンタウンには車で通勤する、郊外と町中はハイウエイで繋がっている、という理想絵図が展示された。GM館では“フューチャラマ”と名付けられた未来絵図がミニチュアで飾られ来場者の目を奪った。「GMがあなたの未来のアメリカへの旅にご招待します。1960年の世界です」というナレーションで来場者がみせられたのはハイウエイと地平線、緑豊かな自然の風景と未来の高速道路だった。家電メーカーの“ウェスティングハウス”はインディアナからNY万博を見物にきた、という設定の“ミドルトン一家万博に行く”という映画を制作、両親と息子、娘に祖母から成る家族を一つの理想的家庭として描いた。NY万博は郊外に住む4―5人家族から成る平均的なアメリカ家庭が理想的姿として示された場所となった。第二次世界大戦がはさまったが、その後1950年代にはその理想を実現するような宅地開発がなされ、シカゴのパークフォレスト、LAのウエストチェスター、NYのロングアイランドなどが開発された。GM館でみせられた“フューチャラマ”の実現である。こうした生活をTVは番組としても取り上げた。「パパは何でも知っている」「うちのママは世界一」「陽気なネルソン一家」いずれも郊外に住む中流家庭が主人公、庭付きの郊外一軒家が住まいであった。

「台所戦争」と呼ばれる論争があったのは1959年、モスクワで開催された「アメリカ展」でのこと。アメリカから参加したニクソンが当時のフルシチョフ書記長に自慢した。「ここに展示されているような電気製品やレジャー用品、そしてそれらを入れる住宅をすべての階級のアメリカ国民が手に入れることができる」これに対しフルシチョフはこう答えた。「わが国でもこの程度の住宅と設備なら新築であれば装備されている。それよりもアメリカでは貧乏な人は道ばたで寝て暮らすしかないでしょう、ソ連に生まれた人ならば誰でもこうした暮らしができるのですよ」 これが台所戦争の中身、不毛な議論、ともいえるが当時は二大大国の真剣なつばぜり合いだった。

アメリカはこのころ実際消費文明の頂点に立っていた。男性にとっては家庭は成功の証であり、成功を消費財の蓄積によって示した。女性にとっては家事労働を電化製品が軽減し、持ち家を得ることは主婦としての満足に繋がった。1956年にはインターステイト高速道路建設費用として1000億ドルが計上、6万Kmのハイウエイの9割を国家予算でまかなった。第二次世界大戦前まではアメリカでも実用性を重んじること、禁欲の美徳が唱えられていたが、こうした消費生活には良心の呵責を感じていたアメリカ人も多かった。しかし「消費は家族のため」という考え方に古き良きアメリカ人の気まずさも埋もれてしまった。

実際、アメリカでは1954年から1964年まで年間400万人の子供が生まれるベビーブームとなり、離婚率も1946―1958年減少を続けた。典型的な家族は郊外に住み子供を二人持つ中流家庭となり、消費の王様として子供が登場した。ベビーブーム世代の子供達は生まれながらにして豊かな環境に囲まれ、古くからの生活の知恵は古くさいものとして葬り去られてしまった。

しかしこうした中、アメリカ人女性の間にはじわじわと問題が巣くっていた。「これが私の人生なの?」1955年には存在しなかった鎮静剤の消費、58年には46万2000ポンド、59年には115万ポンドにも達した。50年代の主婦には4つのB、booze(酒)、bowling(遊び)、bridge(ゲーム)、boredness(退屈)があると言われた時代であった。1954年に登場したエルビスプレスリーはこうした典型的なアメリカ家庭から見ると存在自体が不道徳、大人からは敵視されたが、郊外の保守的価値観に反発を感じていた高校生からは絶対的支持を得た。50年代の若者の価値観の変化はベトナム戦争に対する反体制ムーブメントからロックの祭典「ウッドストック」へと繋がっていった。こうした意識変化はTV番組にも表れた。「奥様は魔女」「かわいい魔女ジニー」「アダムスのお化け一家」、いずれも舞台設定は一昔前の郊外型一軒家なのに、登場するのは魔女であったりお化け、現実逃避のドラマで、子供の不良化や両親の離婚など、現実の家族の問題を隠蔽する手法がとられたのだと分析されている。

さて、日本では50年代のアメリカの家庭を理想像として、しかし現実問題として限られた住宅地でどうするか、と考えられたのが集合住宅としての団地、1955年に設立された住宅公団、1960年代から増えてきた2DKである。当時の日本人は、家庭の理想として、冷蔵庫には大きな牛乳瓶やハムやチーズの固まり、新鮮な野菜やカラフルなゼリー、ガレージには車があって、庭には緑の芝生、白い柵の塀にバラの絡まる門がある、という「パパは何でも知っている」ででてくるドラマの世界を夢見た。日本での核家族化は55年から75年にかけて急速に進行、住宅地を郊外である埼玉、千葉、神奈川に求めた、まさに20年遅れでアメリカの郊外化が日本でも進行した。OLという呼び方は63年に女性週刊誌が始めたそうであるが、意味としては50年代のアメリカ同様、主として働く男性の補助的役割であった。アメリカでの理想的家族像が39年のNY万博から50年代に定義されたように、日本でも64年の東京五輪前後に夫婦と子供二人を標準世帯と考えるような、配偶者税控除や家族手当の考え方、住宅資金貸付制度などの形が完成してきた。父親は残業してでも収入を得ながら女性は家事育児を担当し、子供が学校に上がる頃には郊外に持ち家を建てて、子供達は学歴を求めて受験勉強に励む、という標準的家庭が設定されたのがこのころである。住むだけならば賃貸住宅でも良いはずなのに、なぜ持ち家なのか。金融公庫による住宅融資制度、福利厚生としての企業社内融資、住宅手当、これらは働く人たちに目標を与え、働く意欲を継続して欲しい、という戦略であり、国と会社がアメリカを手本とした長期戦略であった、と著者の三浦は分析している。

1973年の三菱地所のCM、「3Cのある3LDK」。今の人はご存じないかも知れないが、3Cとはカラーテレビ、車、クーラーであり、アメリカでの消費は美徳で郊外に持ち家、という延長線上にある幸せ観である。こうした大衆消費の前提には工業力の発展と、生産性向上による第二次産業から第三次産業への人口シフトが起こる。アメリカでは1960年に第三次産業比率が54.5%、日本では1980年に55.3%とほぼこちらも20年遅れでシフトが起こっている。アメリカで60―70年代に起こった価値観の変化からくる社会の歪みは、日本ではバブル崩壊後の90年代におきていると三浦は見ている。それは95年のオウム事件であり、97年の小学生惨殺事件が象徴する90年代におきた一連の中高生による事件群であり、それらの多くは郊外型の住宅地でおきている。こうした郊外型事件の共通点を著者は次のようにまとめている。
①共同性の欠如:地域の結束力が希薄。
②働く姿が見えない:地元で働く人たちがおらず、住宅地は寝る場所。
③世間がない:親戚や近所という子供達にとっての「世間」がない。
④均質性:誰もが同じような生活をする中で、人との違いを目立たせない子供が増加。
⑤生活空間が合理的にすぎる:子供達は部屋にこもる、息苦しい私有空間。
これらはアメリカでの理想的な生活と価値観、私有財産を殖やすことが幸せ、というところに起源があるのではないか、というのが著者の主張である。アメリカは資本家と労働者は対立するものではなく、生産者主体の社会を消費者主体にしようとした、日本はそれに追随した、と言う解釈である。そしてその消費者社会の生産工場である「郊外」が日本でも崩壊しようとしている、という警鐘である。

この指摘に回答はもちろんない。だからアメリカ型の幸福感は間違いだった、ということではないし、日本はこれからこうなるという予測もないが、今何かが問題になりそうだ、子供達の将来はどうなるのだろう、ということを考えるきっかけ、ヒントになる。「下流社会」で登場した三浦さん、と思っていたら以前からこういう視点からも評論もしていることに注目したい。
「家族」と「幸福」の戦後史―郊外の夢と現実 (講談社現代新書)
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

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