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意思による楽観のための読書日記

天皇諡号が語る古代史の真相 関裕二 ***

筆者は歴史作家であり歴史学者ではないので、どんな主張をしたとしても歴史上の仮説、検証はなかなか難しい。本書でも書かれているが「聖徳太子は蘇我入鹿である」という主張があり、それも一つの仮説。

天皇が死後に呼び名として付けられた名が「諡号」。「神武」「崇神」「推古」「天武」などの漢字二文字の呼び名が漢風諡号。これらの呼び名は「日本書紀」「古事記」には八世紀初頭に書かれた時点では付けられておらず、14世紀初頭に書かれた「釈日本紀」によれば、8世紀の半ば過ぎに、「懐風藻」の編者として有名な淡海三船により「神武」より「元正」までが名付けられた。本居宣長によれば、淡海三船はさらに「聖武」から「光仁」までも名付けたとしている。

漢風諡号は、すぐには定着しなかったが、その後の「続日本紀」「武智麻呂伝」などでは使われているので、私的文書に使われ始めて、その後公式に使用された、ということになる。「懐風藻」に取り上げられたのは皇極から孝謙天皇にいたる皇族、王子、王女や藤原氏の有力者などによる漢詩などであり、淡海三船はそれを選定、序文を寄せ、各作品を解説した。その解説の中では、記紀には書かれなかった事柄を、歴史の現場描写により補っている。

編集時は聖武天皇の娘である孝謙天皇の時代、「天武系」と言われる系統であるが、天智天皇系列の時代をしのぶ内容でもある。同時に、天武系である大津皇子や長屋王の悲劇も嘆く。壬申の乱直前の中臣鎌足の不審な行動、大津皇子の謀反にいたる複雑な事情、珂瑠皇子立太子の際の不可思議な会議など正史とは別目線の記述が多い。「懐風藻」は文学作品であると同時に歴史書としての側面があるという。懐風藻編者の淡海三船は、当時は付けられていなかった天皇諡号を贈ることで、各世代の天皇の果たした役割についてのメッセージを込めたのではないか、というのが本書筆者の仮説である。

「神」の名前がつけられたのは「神武」「崇神」「神功皇后」「応神」である。筆者の結論は、神話時代のエピソードやヤマトタケルの逸話、出雲神話などを踏まえると、大和政権の初代王が崇神であり、類似の逸話を持つ神武と応神が同一人物、というもの。

「武」を持つ天皇は「神武」「武烈」「天武」「文武」「聖武」「桓武」であるが、「武」は武力そのものというよりも、国土や民を戦いに巻き込むことなく国を治める力を示す。さらに和風諡号のなかに「タケル」を持つ天皇も含め、天智と天武の関係、さらに持統との夫婦関係、武内宿禰の正体などを解き明かす。

仮説の積み重ねで、どこまでを信じられるのかは不明であるが、読み物として面白く、最後まで筆者の仮説に興味が尽きない。古代史の謎に天皇の諡号もさらなる謎を重ねる一冊。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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