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意思による楽観のための読書日記

平安王朝 保立道久 ****

平安時代と言えば藤原氏が摂関政治で専横を極めていて、桓武以降で、平城、嵯峨から後三条、院となり権力をふるいだした白河あたりまでの天皇は政治的に前に出てくることは少ない時代、という認識だった。大河ドラマで平安時代に起きた事件が出てくると、そういえばそういう天皇がいたな、というくらいの記憶。しかし藤原氏の中で氏の長者となるための権力争いには、娘を入内させて王権奪取の運動を自らの権力獲得に利用した摂関家の論理が見え隠れする。本書では平安遷都以降平家滅亡までの天皇家と摂関家の権力闘争の流れを概括する。

本書によれば、この時代は学者としては古代史と中世史の狭間に抜け落ちた位置づけで内部事情により古代史家は奈良時代までを研究し、中世史家は院政時代から保元・平治の乱を確認することから始めるという。平安時代の宮廷文化が注目されるのは女流文学やその周辺の位置する文化的営みが中心となり、律令制から荘園への移行についても、力を集中する摂関家や寺社勢力に注目されることが多い。西欧史では王権の交代劇が注目されるのに対し、日本では王権は形式的にも継続し、各天皇の個性や独自の政治的手腕に注目されることが少なく、源氏物語の背景に存在する天皇の村上、冷泉、円融、花山なども色好みのイメージと重ね合わせられ、歴代天皇の語呂合わせ的存在と化している、と指摘するのが本書。

この時代の天皇家は摂関家との婚姻関係により血統が交錯、複雑化している。この複雑性は天皇家の三世代の記録がすべて残されており、上皇・院、天皇を産んだ皇后・国母、天皇とその跡を継ぐ予定者である皇太子・皇太弟を調査してみることで解明できる。特に皇太子の位置づけに注目することで、南北朝時代のような王朝の迭立(代わる代わる王位に立つ)が見られることが分かる。この時代の初期の政争は村上天皇の二人の息子、冷泉と円融の兄弟の子孫間の王位継承問題のこじれに関わり発生している。王位継承の兄弟間による係争は天皇と皇太弟の紛争となる。つまり争点は東宮庁と皇太子庁を権力の起点とする摂関家の氏の長者争いを起点とする。後期の院政時代になると壮年で院となり家長として幼年の天皇を保護する時代には、天皇が成年して子を設けるまで皇太子を置かないこと、院が天皇即位に対する自由度を継続させることで権力をふるう。

平安時代の天皇の多くは即位後に新制として国家維新の法を発布し血脈の更新と新たな政治の開始を宣言することを特徴とする。摂関政治や武家の勃興以外に、こうした新制の一つである荘園整理令が摂関政治の弱体化のきっかけとなり武士の力勃興につながったことは見逃せない。

本書では、1.桓武とその子供たち平城、嵯峨、淳和、そして薬子の変とされる平城の反乱、その後の嵯峨、淳和兄弟の平和な時代を概説 2.平安京の都市王権が確立した時代は源氏物語の原像である仁明、清和、陽成、王統が動いた光孝、宇多、醍醐と道真の失脚、皇太子空位の間の平将門の乱、精神を病み狂乱の君と言われた冷泉の時代 3.摂関政治と王統迭立の円融、花山時代から道長が黄金時代を迎えた一条、三条時代、後のつく天皇が登場する時代 4.院政の時代は内乱の時代でもあった後三条以降、荘園整理令がきっかけとなる白河王朝と摂関家の没落、鳥羽院、後白河院の時代 と概括する。
本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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