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意思による楽観のための読書日記

京都発見2  路地遊行 梅原猛 *****

本書は平成7年から8年にかけて、読売新聞日曜版に掲載されたものに手を加えて、平成10年2月に発刊されたもので、全部で9巻、本書はその第2巻。度々訪れる京都の町にあるお寺や神社とそこに祀られる仏像や神々について、その由来や町、権力者との関係などを解き明かしていくエッセイ集である。面白くて、奥深くて、新たに知ることが多くて、読み終わるのがもったいなくて毎日少しずつ読んできた。

第二巻に紹介されているのは、因幡堂と橘氏、六角堂と太子信仰、壬生寺と壬生狂言、行基仏、吉田山・神楽岡、京の西の秦氏、東山界隈の祇園社と牛頭天王・青蓮院・粟田神社、妙法院と後白河法皇、天神とてんしん、と若干渋めではあるが、地理と歴史と観光を現在過去、東西南北を縦横無尽に語る、という風情で、京都に少しでも縁がある読者には、関心を持たざるを得ないような内容である。

六角堂は河原町三条から少し南に位置し、生花発祥の地として有名だが、もとは聖徳太子が建立したと伝えられる。太子由来としては、祇園祭の山鉾の一つである太子山、この山も六角堂の縁起をそのまま表している。少年の太子が右手に斧を持ち六角堂の建材である杉の木を切ろうとしているという像が太子山には載っていて、他の山鉾は神の依代として松の木が立てられるのに対し、太子山には杉の木が立つ。聖徳太子が信頼したのが、京の町が都になる前からこの地に勢力を張っていた秦氏、もうひとりが小野妹子であり、小野妹子が太子とともに六角堂たる頂法寺を建てた。池坊専永氏は小野妹子の44世の孫であるという。太子がこの地で湯浴みした泉に因んで池坊という坊舎を設営した。室町時代にその11世孫の池坊専慶が立花を始めた。生花はその時代はには仏教世界を表していて、仏教世界を表す庭造りから、それをさらに象徴化する生花を極めた。庭が少しの水や木花から巨大な自然を表現するように、生花も小さな瓶の上に青黄赤白黒の五彩の仏世界を表し、松や檜は真如普遍を、花は盛者必衰を表す。こういう由来を学ぶと、現代の華道はいささか仏教から離れすぎてビジネスの道を進みすぎている気がする。

壬生狂言は節分、4月、秋など年に数回公演されている。歌舞伎のようなセリフはなく、能のように謡で筋を説明することもなく、パントマイムだけで出来事を観客に伝える。30種類の出し物があるが、それぞれが勧善懲悪、因果応報など、世の中に起きていることから学べる戒めや、貴族の滑稽さ、庶民の小さな喜びなどとして表現する。中には「船弁慶」のように、頼朝の疑いを晴らそうとした義経が四国に下ろうとするとき、同行を希望した静御前と泣く泣く別れる場面を描くような物語もある。私も10年ほど前に、花見の客が桜の枝を折ったりしないように見張りを勤める僧侶が、親方の目を盗んで花見客の酒を飲むが、酔っ払ってしまい、花見客が枝を持ち帰ったことが、僧侶の親方にバレてしまう、というような筋の演目を見たことがある。感心したのは、それを演じているのは地元の壬生の一般の人達であること。30種類の演目を何百年も伝えてきたということになる。だれでも見ることができるので、機会があれば見て欲しい。

八坂神社は京都観光で誰もが訪れる名所の一つ。明治維新の神仏分離令までは祇園社であり、災害や疫病の平定を祈ったのが祇園祭の最初で、矛を66本立てて神泉苑まで神輿にして送ったという。祇園社の主祭神は牛頭天王で、新疆の牛頭山に熱病に効果がある栴檀を産出したことからこの名を冠した天王を疫病に効く神として崇めた。この信仰がインド密教、さらには陰陽道信仰と混交して日本に伝来した。明らかに仏教の仏で、釈迦が仏教を広めた祇園精舎に因んでこの地一体を祇園と呼んだ。この仏を日本神話のスサノオと同一視、日本全国には祇園社、八坂神社、須佐之男神社が数多く存在するのは、こうした疫病、災害を収めるという神仏習合祈りの広がりであるという。7月に行われる祇園祭の鉾は66本あった邪霊を祓う矛が長大になり、人力では運べなくなったので山車に載せた結果であるという。祇園祭の花形は山鉾巡行であるが、祇園社の神人(祇園社に属する商人の座のメンバー)にとって肝心なのは牛頭天王(スサノオ)、その夫人竜宮の姫(クシナダヒメ)、その子の八王子が祀られた三基の神輿が巡行する17日の夜の神幸祭、後の祭りの夜の還幸祭であるという。

天神さまといえば、誰でも菅原道真の北野天満宮を思い浮かべるかもしれないが、西洞院通松原の五條天神社は少彦名神を祀る。大国主大神を助けて国造りをして熊野の岬から常世に旅立った神である。大国主大神が国つ神、少彦名神は天に帰った神なので天つ神、天神となる。この五条天神は地元では「てんしん」と濁らない。秀吉が京の街に彼が大好きな直線道路を通そうとしたとき、逆らえない町衆は、町名だけでも逆らおうと、五条天神の真ん中を突き抜けた、ということで町名を「天使突抜町」と名付け、現代まで残っている。天神信仰は道真以前からあったが、道真以降は本家を盗られた感がある。道真の怨霊を鎮めるための北野天満宮建立は有名だが、その前942年、多治比文子が西の京の地に小さな祠を立てて道真を祀ったのが道真社の始まりで、下京区天神町にある文子天満宮にその名を残している。北野天満宮の南にも文子天満宮の御旅所があるというから、藤原時平や醍醐天皇など祟られた人たちよりも前に庶民たちにより神として祀られたのがこれ。今度見に行ってみようと思う。

本書は2-3ページのエッセイに、見開きのカラー写真が添えられていて、地理や歴史の興味とともに観光としての魅力が掻き立てられる仕組みになっていて、本としてうまい作りだと感心する。同時に読み進めている第一巻とともに、次回の京都訪問に持参しようと思っている。

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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