ソ連のコミンテルンは世界に革命を広げようとしたが1920年代にはヨーロッパで失敗、インドでもうまくいかず中国に狙いを定めた。1911年の辛亥革命で清朝が倒れた中国では中華民国が成立はしていたが軍閥が割拠して孫文によるガバナンスは行き届いていなかった。コミンテルンはこうした苦境の孫文に目を付け、ボロジン、ヨッフェという大物を送り込んで資金援助も行った。1924年にはソ連との協調路線を国民党は選択、これが第一次国共合作。この時点では日本はこの変化に注目していなかった。孫文が死んだ後は蒋介石による北京軍閥掃討、いはゆる北伐が開始、1927年には国共合作軍は南京に到達。ここで分裂が生じ武漢に国民政府、南京に右派国民政府が樹立された。ここで国民革命軍と暴徒による漢口事件、南京事件が発生、外国人居留民が被害に遭う。英米はこれに反撃したが、日本人は逃げ帰ったため弱腰外交と非難された。時の外務大臣は幣原喜重郎、日中友好が国民を守ることより優先された。
この時に起きてしまった金融大恐慌で英米の対中政策転換を見誤った日本は高まる反日感情にたいし、さらなる弱腰外交を続けることで国内批判を恐れるあまり山東出兵に始まる中国大陸侵攻を始めることになる。英米との協調は崩れ、日本一国による派兵は中国大陸での日本孤立化を進めた。そして関東軍による張作霖爆殺事件につながる。蒋介石による北伐以降の反日運動を見誤ったこと、英米との協調外交を見誤ったことが日中戦争とそれに続く太平洋戦争を招いた。1931年には中村震太郎大尉虐殺事件、万宝山事件が起きたのにもかかわらず断固たる処置を講じない政府に対し、さらに軍部が幣原外交に不信を抱くことになったことがブレーキをはずしてしまった。
さらに太平洋戦争開戦にはコミンテルンの謀略もあるのではないかというのが筆者の推理。日米が戦争を起こせば日本がソ連を攻めることが難しくなり、アメリカはドイツと戦うソ連を支持するのではないかというのがソ連の読み。日本が道を誤るように工作したという話。そして戦後非難されたのが松岡洋右、三国同盟締結により米英との戦争を不可避にした、逆に幣原外交はプラスに評価されているが、筆者はいずれも両極端であり評価されるべきではないと言う。筆者としては中国に進出している国同士で国際協調するべきだった1927年時点で英米と共同歩調をとり行動すべきだったと反省している。
こうした歴史認識を正しく持ち、中韓両国との関係、英米との関係をどうすべきかを今も考える必要があるという主張である。
また、神道と仏教についても再認識が必要だと主張、古事記、日本書紀の記述の正当性を再評価する必要があると指摘、神仏習合の日本的宗教観の世界でのユニーク性をしっかりと考える必要があるという。世界に現存する王国には英国、タイ、デンマークなどがあり、日本は人口でいえば世界最大の国、その王たる天皇は父系継承で少なくとも1500年以上続いてきた世界でもまれな王国である。三種の神器も壇ノ浦で海に沈んだことはあったが連綿と引き継がれてきている。天皇家は初期を除き藤原氏、平氏、源氏、足利、北条、織豊、徳川と実際の政治行政を任せてきた歴史がある。明治以降も象徴的な存在として君臨しても統治はしてこなかった、これが存続の理由である、という主張。
「菊と刀」は間違った日本人論、ラフカディオハーンや戦前戦後を通してイギリスの外交官だったジョージ・サンソムの日本人論が真実に近い、というのだ。要は、日本文明は中国文明とは別の独立した文明である、そして神仏混淆と天皇というユニークな存在を持った国であること、誇りを持ってしっかりとした歴史認識を持つべき、という考えである。
一部コミンテルンによる謀略説など田母神的主張で右翼的と感じられる主張もあるが、神仏混淆、天皇の歴史、太平洋戦争に向かうきっかけは同意できる。歴史認識に関しては筆者の指摘通り、現在の外交方針もこうした認識の揺らぎが問題を大きくしているのだと感じる。
日本人としてこれだけは知っておきたいこと (PHP新書)
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