競馬好きの作家はたくさんいたそうだ。菊池寛、舟橋聖一、北杜夫、遠藤周作、吉川英治、吉屋信子・・・。中でも、舟橋聖一は東京馬主協会理事を勤めるほどの競馬好き。新聞に4つ、雑誌に13ほども連載物を書いている。舟橋にはモモタロウという持ち馬がいた。妻が百子というので、牡馬だからとそこから名付けたとか。家庭思いの舟橋だったというが、作品には色気が満ち溢れていたので、「エロ聖」とも呼ばれた。妻以外に妾を持ち、同じ敷地内に住まわせたという。娘の美香子さんが愛する男性との結婚を申し出たところ、父である聖一は反対。見かねた百子さんが、妾同居を条件に認めさせたという。聖一はその負い目から愛馬にはモモタロウと名付けたというから、本当に家族思いだったのかは不明であろう。モモタロウは中山大障害を大差で勝利。百子さんは、勝利のたびに涙した、というのは深い意味があったのではないか。
日本にはいくつかの競馬場があるが、歴史上にも各地に競馬場があった。それぞれについて様々な作家たちが記述をしている。佐藤春夫が八戸、志賀直哉が高崎、五木寛之が平壌、阿部知二が姫路、室生犀星が金沢、獅子文六が甲府、司馬遼太郎が高知、小熊秀雄が旭川、林芙美子が樺太の豊原、椋鳩十が鹿児島、龍瑛宗が台湾川端、吉田初三郎が京都。その中で、台湾の台北にあったという川端競馬場について書かれた記述に、気になる部分があった。それは、台北鳥瞰図の競馬場の隣に書かれた台北帝国大学について。設置されたのは昭和3年で、明治19年の東京帝国大学から、京都、東北、九州、北海道、京城(ソウル)に続いての設置で、その後昭和6年に大阪、昭和14年に名古屋と続く。そうか、ソウルと台北には大阪、名古屋よりも前に帝大が設置されたんだと。設置当時日本一高い山は玉山(新高山3952m)であり、明治神宮の鳥居は台湾の阿里山の木材で造られた。台湾の作家、龍瑛宗は菊池寛とともに川端競馬場に通ったという。
競馬好きなら読んでも楽しかろうに、残念ながら私には競馬の趣味はない。じゃあなぜ読み始めたのか。「ステイ・ホーム」は主たる理由ではないはずだが。