意思による楽観のための読書日記

孤独の賭け 五味川純平 ****

このお話、時代背景が重要、1960年代の東京、ストーリーにはあまり出てこないが東京には都電が走っていただろうし、東京オリンピックを前に高速道路や地下鉄の工事も始まっていただろう。戦後のどさくさで土地で一儲けした金貸し東野の話も、ビール一本が一坪の土地などという途方もない話で当時の雰囲気を感じられなければただのホラ話にも聞こえる。百子の生い立ちや叔父夫婦への恨みの深さも、その貧困を体感できなければ理解できないかもしれない。金貸しの東野の手下、氷室が言うジョーク「総理大臣ではないですが、私はウソは申しません」、50歳以下の読者には何がジョークなのかも分からない。時の総理大臣は佐藤栄作いや違った池田勇人、この人の常套句だったこと、懐かしく思い出す。

「孤独の賭け」は、千種梯二郎と乾百子という二人を中心に物語が進む、結構展開は早いのが特徴。洋裁店の縫い子である乾百子の両親と兄は叔父夫婦に騙され土地家屋を奪われたうえ貧困を苦にして死んでいった。取り残され一人になった百子は、叔父夫婦への復讐を胸に、洋裁店ボヌールの縫い子になった。百子には、いつか自分で洋裁店をもち、お金を稼ぎ叔父夫婦に復讐を果たした上で世の中をのし上がっていきたいという野望があった。自分が雇われている洋裁店の経営が火の車であり、担保として差し押さえられるという情報を得た百子は、それは自分のすべてを賭ける好機だと考えた。

もうひとりの登場人物は、実業家の千種梯二郎。「大衆に娯楽を」というのが千種のキャッチフレーズだが、今聞いても奇抜なアイデアとは思えない。この時代だからこそ娯楽はお金持ちのものであり、庶民は裕次郎や小林旭がヨットで遊んだり、ちょっと後の大橋巨泉がゴルフで加山雄三がスキーで遊ぶのを見て夢を見ている時代であった。だからこそ「娯楽を大衆に」というキャッチが受ける。キャバレーなどの娯楽産業で無一文からのしあがってきた彼は、世界的な歓楽境を作ろうと膨大な夢を持ち、東日コンツェルン会長赤松やその幹部大垣、さらに高利貸東野などに取り入って、「新世界」という日本最大の娯楽施設の建設にあと一歩というところまで来ていた。こうした政治家や金貸しは千種の利用価値をビジネス的に計算し、儲けられると思う間は利用するが、いったんその計算がマイナスに出ると叩き落そうとする。

百子はある夜、千種に出会う。肉感的な体と美貌の百子にはその武器を使う頭脳と度胸があった。実業家である千種に百子はその日のうちに自分を担保にして借金を申し込む。千種は百子たぐいまれな個性に惹かれ言われるままに250万円を投じて、借金に苦しむボヌールの乗っ取りに荷担、店を百子に預けた。さらにバー「アロハ」も百子の才覚に任せてみることにした。また、千種は、叔父夫婦に騙し取られた百子の生家を300万円を投じて買い取り、百子に与えて叔父一家への復讐を叶えてやった。

復讐を実現した百子は、洋裁店とバー経営に事業欲を燃やした。手に入れた洋裁店を元にしてもう一つのボヌール(バー)のマダムになった百子はさらに大きな世界へと飛び出していった。名声を得る為全国デザイン・コンテストに応募、奇抜な演出で有名人になった。しかし百子は、いつまでも千種の世話になるのを嫌い、千種の友人北沢から紹介された証券マン布井を利用し金を貯め、さらに生家の土地をも売りはらった。

千種は新しい娯楽の大構想を実現させようとしていたが、資本家大垣がそのアイデアを横取りしたことが新聞の載ってわかる。千種も金策に走るが、金融の引締で、経営は挫折し、東野も赤松や大垣も、そんな千種を見離した。最後に千種は百子のところに顔を出す。「150万円貸してくれないか、中川京子に渡したい」「そんな金は貸せない」と百子は断る。千種はとぼとぼとボヌールを後にする。

お金、資本、土地を持っている大垣、赤松のような資本家と、千種や百子のように裸一貫から立ち上がろうとする野心家、そしてその他の登場人物のように自分の分に合った生活で満足する大勢の人間たち、1960年代という今から40年も前の話であり、時代は異なるが、現在でもこうした構造は変わらないので話の現実感は大いに感じられる。それにしても、百子、何という大胆で魅力的、そして生き抜く力を持った女性だろう。モデルはいるのだろうか。孤独の賭に百子は勝ったのだろうか、それともまだこれから先があるのだろうか。五味川純平、女性も男性も生き生きとそのキャラクターを描いていて一気に読める、滅多に出会えない面白い小説である。
孤独の賭け〈上〉 (幻冬舎文庫)
孤独の賭け〈中〉 (幻冬舎文庫)
孤独の賭け〈下〉 (幻冬舎文庫)
御前会議 (文春文庫 (115‐11))

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