意思による楽観のための読書日記

人間の覚悟 五木寛之 ***

戦後50年、日本は躁状態だったと筆者は言う。これは悪いことではなく、ある程度ハイテンションになることが必要だったと。明治の日本が、世界の一等国を目指して富国強兵、殖産興業を国民をあげて坂の上の雲を見たように、昭和の国民は、平和国家建設、民主主義、という目標を持ち、技術立国、経済大国、男女同権などの明るい目標が坂の上の雲でした。現代はジェットコースターで降りたり登ったりする、頂点の一時停止時期だという。これからは欝の時代が来るとの指摘。皇室の話題も国技の話題も明るくない。アメリカでも9.11までとそれ以降では躁状態から鬱状態というほどの違いがある。「巴里のアメリカ人」で描かれた時代のアメリカ人は世界で愛されていたが、今のアメリカ人は世界で愛されているとは言えない。冷戦終結で国家対国家からテロに対応する、という見えない敵との戦いになった。

今は「資本主義という名の幽霊が世界をさまよっている」という時代だと筆者は言う。アメリカや日本だけではなく、アラブやアジア、ヨーロッパなど国境を超えて資本主義は次の市場をもとめてさまよい歩く。市場は石油、食料、金融など様々だ。これまでもてはやされたアメリカ式のマーケティングやマネジメント、金融工学は本来利益が出るはずのないものに儲ける幻想を作り出し、サブプライムローンのような問題を作り出した、という天才的詐欺、問題はそのつけを国民の税金でまかなっているという点。

登山には下山がつきもの、インド哲学には人生にも学生期、家住期、林住期、遊行期の4つの時期がある、青春、朱夏、白秋、玄冬ということになる。いつまでも無限に成長する人生はないのであって、折り返し点に差し掛かったときそれを覚悟することが必要。徒然草では「死は前よりしもきたらず、かねて後ろより迫れり」、誰でも死ぬときには一人なのです。

日本人は和魂洋才といい、洋魂をもつことはできない。神仏習合は日本の誇るべき文化だと考えるべき。日本人は昔から山や森を敬い、あらゆるものに精霊を見るという山川草木悉有仏性は日本人の勝れた感覚である。欧米流の自然保護、ではなく、動物植物にはそれぞれ魂がやどり、人間も自然の一部であるという東洋的考えが重要なのではないか。禅宗でも浄土宗でも言われる「自他一如」、天寿には逆らえない。ブッダは80歳、法然も80歳、親鸞は90歳、蓮如は85歳まで行きた、当時の平均寿命から考えれば驚異的である。

痴呆老人を介護する家族は大変だが、沖縄では痴呆老人は悠々と穏やかに周りから尊敬されながら幸せに生きている、という。意識が薄れ動作が緩慢になることはマイナスではなく、周囲がそういうことを嫌悪するからトラブルになるのだと。「子供笑うな昨日の自分、年寄り笑うな明日の自分、成長と老化は一体である、ということ。

自分自身にも良く考えたい言葉であると同時に、こういう人間の覚悟、これからの日本を象徴するような著作でもある。

人間の覚悟 (新潮新書)
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