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意思による楽観のための読書日記

宣教師と「太平記」 神田千里 ****

日本を客観的に見ること、それは日本人でも外国に行ったときに感じることですね。日本に布教のために来ていた宣教師たち、彼らも戦国の世が信長・秀吉・家康らにより統一に向かう様と、キリスト教を受け入れた後に排斥に向かうさまを客観的に捉えていたに違いない。イエズス会の宣教師が編纂した日本語辞書がある。「日葡辞書」と呼ばれる32293語を取り上げ、発音をローマ字で、意味をローマ字表記の日本語とポルトガル語で記した辞書。辞書に取り上げられた例文は「太平記」が最も多いという。布教のために必要な日本人の考え方を知るための辞書、と考えると、宣教師たちが「太平記」が日本人の考え方に大きな影響を与えている、と考えていたと思われる。

さらに、当時発明された活版技術を用いて「キリシタン版」と呼ばれる書物も出版されたが、太平記から仏教・神道色の強い部分を取り除いた「太平記抜書」もその一つ。「平家物語」にもキリシタン版があり、いずれも日本人にも広く読まれていたことが分かる。太平記は後醍醐天皇が即位したときから、観応の擾乱、義詮、義満の時代までの50年を描いた軍記物。当時の優れた物語といえば、どちらかといえば、「盛者必衰」のような統一的な哲学で物語る平家物語、保元・平治物語ではないのだろうか。

当時の人々が、自分の主張を正当化する際に、太平記を参照する例がいくつも見られるという。太平記が書かれた100年ほどあと、興福寺大乗院門跡の尋尊は、所領の権利に関わる由来の正統性を太平記記述から引用している。中御門宣胤は、中御門家に伝わる屏風の由来が太平記に記されていることに感動したという日記を書いている。16世紀になっても興福寺多門院の僧英俊も「馬鹿」の由来は太平記にあるとしている。イエズス会の宣教師たちも日本人と接する上で、教養を身につける意味で太平記の記述内容に関心を持った。太平記は娯楽という面からも庶民に親しまれ、太平記読み、という興行が15世紀から江戸時代になっても人々を集めた。太平記を読んで物乞いする人物さえいたという。

太平記に統一的な思想があったとは言えないが、北条執権政権の滅亡、建武政権、南北朝混乱から足利政権への移行という混乱の様をリアルに描いている。対象となるのは公家、大名、武士、野武士、あぶれ者など様々だが、複雑な時代と人間像を捉えるのが特徴である。儒教の君臣道徳を説き、さすれど実際にはそのとおりの政治とは程遠く、この世を動かすのは昔からの因果律であり道徳ではないと述べる。しかし、仁義礼智信の五常を外に向けては問い、内には解脱生死のいち大事を守る、などとする。このように政治や世相批判の視点が鋭いことにも注目でき、七五調の表現で語られる旅の情景や旅情は、縁語・序詞・掛詞などの技巧が凝らされ、広く読者を集めた。

イエズス会の宣教師たちが学んだ日本歴史では、古の時代には天皇が支配してきた66カ国の日本が、源平の争い以降は京の朝廷権力が武家の政権に移っていったと認識されている。頼朝が実際領有できたのは関東8-9カ国であり、京は朝廷の手にあった。天下を取ったという信長が押さえたのは畿内5カ国であり、武田氏を打ち破り、ようやく畿内から越後、碓氷峠より西を手にしたとする。その武士たちが、負けることが分かっている戦いでも、勇んで出陣したのは、太平記のような記録に、我が名前が不名誉な形で残らないことを気にしたため。太平記はこんなところにまで影響を及ぼしたということ。

当時の日本人たちが「日本人」を意識していたのか。66カ国の人たち、多少の訛りはあっても誰でもに通じる言語を話し、平家物語や太平記に書かれたエピソードを知っている前提での話が通じる、それが日本人。菩提寺の過去帳には、有名人の命日の一覧表も掲載されていて、これが日本全国、ほぼ共通だったという。有名人とは、1日が神武天皇、染殿后、平重盛、2日が鳥羽院、伏見院、小野篁、3日は天智天皇、藤原不比等、4日が葛原親王、称徳天皇、北条時政、源義朝、平清盛と続く。これらの情報源が太平記、平家物語だった。

こうした事情は明治になっても続いた。尋常小学唱歌に歴史物語を題材にしたものが多い。太平記からは、桜井の別れ、大塔宮、児島高徳、鎌倉、平家物語からは那須与一、鵯越え、斉藤実盛などが見られる。それ以外では、大鏡から菅公、三才女、曽我物語からは仁田四郎などが見つかる。物語は長く日本人の記憶に残っているのである、本書内容は以上。

同時代に「二条河原落書」があるが、太平記はその正式版、とでもいえる内容と感じる。侍たちが汚名を未来に、物語に残したくない、だから死ぬ気で戦うぞ、という心意気は素晴らしい。現代ならそれは「SNS炎上したくない!」だろうか。まさか。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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