意思による楽観のための読書日記

明日の記憶 荻原浩 ****

50歳の広告代理店に勤めるサラリーマンがある日アルツハイマー病だと宣告される話、大変悲しいストーリーである。妻の健気な支えが描かれる。

佐伯は50歳の広告代理店に勤める部長、妻は枝美子、娘は梨恵で結婚がきまっている。ある時物忘れが酷いので医者に見てもらうとアルツハイマー病ではないかと診断される。そんな訳はないと信じられない思いだが、物忘れは続く。日記を付けている佐伯は毎日の出来事を綴るが、この日記が徐々におかしな文章になっていく。字の間違い、ひらかなでしか書かなくなるなど、「アルジャーノンに花束を」の主人公の変化を思い出す。アルジャーノンに花束をでは少々鈍い主人公はいつも仲間に鈍さを馬鹿にされているが、そんなことは仕方が無いことと諦めていて、しかし性格が素直なために周りには好かれている。そんな彼が大学の研究の一環で頭が良くなるという実験材料になり、事実頭の回りが急に良くなる。そうすると彼の話す言葉も徐々にまとまった内容に変化、ついには周りの友人が寄り付かなくなるくらいの高教養人になってしまう。彼は頭が良くなればばかにされることもなくなる、と思っていたのが周りから敬遠され落胆する、しかし、実験の失敗でもとに戻ってしまうが彼は不幸ではなくなる、というお話だった。佐伯の日記変化はそれを思いおこさせるのだ。

徐々に新たな記憶が身につかなくなり、急に今自分がいる場所が分からなくなる、地図が読めなくなる、人が信用できなくなる、聞いたことを覚えられないのですべてを書き留めるが、書いても書いても覚えられない佐伯はもがきにもがく。しかし、部長職は続けることができず、資料整理の部署に移るが、それも長くは続かない。

陶芸が趣味だという佐伯は陶芸学校に行く。陶芸の先生との会話でも不自然なところが出てきてうまくいかない。娘の結婚式でも親戚の顔と名前が一致しない、娘の夫には何度あっても顔が覚えられない、など病気は進行する。ある日、日野にあるデイケアセンターを一人で訪問する。自分のケアをしてもらいたいと思ったからだが妻の枝美子は私が家で面倒みたいと反対している。センター訪問後思い立って昔行ったことのある奥多摩の窯元の先生を尋ねる。必死で記憶をたどると窯元の小屋にたどり着く。老先生はいたのだが、先生もやはり相当耄碌しているようだ。土産の酒を二人で飲みながら、焼き物を焼く二人、二人で火を見ながらとりとめない話をするが、もう二人とも正常ではない。一晩泊まって帰ろうとする佐伯、自宅では妻が心配しているに違いない。麓に下りてくると、道に美しい女性が立っているので声をかける、「道に迷ったのですか?」女性は少し戸惑いながらも「ええ、でも大丈夫です」と答える。一緒に降りれば大丈夫と言いながら山を下る。女性は後ろにつくのではなく横を歩くのがおかしいと佐伯は思う。「ところでお名前は?」と聞く佐伯、女性は少し考えて「枝美子です、エダが美しい子と書くのです」と答える。二人は並んで山を降りる。

映画化されたので見た方も多いだろう。本を読んでいても感動的だが、映画はもっとドラマチックに描くだろうから涙が止まらなかった、などという方も多いのではないだろうか。佐伯よりも6つも年上の自分としては大変身につまされるお話である。

明日の記憶
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