筆者の父厚とその弟護人、そして妹の夫が網野である。その3人が農業と科学技術についての議論をしている。
護人「農業を主体としてその社会に科学技術を結びつけたときに理想の社会ができる。科学技術そのものには道徳や倫理を発生させることができる原理がかけている。科学技術だけを発展させると暴走して公害や戦争を引き起こす。農業を基盤とする社会からは道徳が自然な形で発生することができるのだ。」
厚「科学技術は現実に柔軟に対応できる。それを無理に道徳倫理に従わせようとしても問題は解決しない。科学技術の内部構造を作り変えることで公害を出さない技術などを発展させるべきだ。農業も歴史的産物であり、それ以前にあった社会にこそ学ぶべきものがあるのではないか。」
網野「マルクスはロシアでミールと呼ばれる農業共同体の中から人類が望んでいる新しい社会が生まれる可能性があると考えていた。農業共同体の中には原始・未開以来の人類の体験と知恵が生き残っている。それを破壊せず新しい社会の原理とすべきだと。厚さんの主張も護人さんの主張も、マルクスの主張に従えばどのようにしてそれを取り出そうとしたらいいのかを議論しているように思います。」
筆者中沢さんは、網野さんが後に主張する「百姓」の新たな見方を思う。農業を百姓のなかの一つの職業とし、それ以外の漁業や猟師、鍛冶など非農業民の社会に対する働きと農業共同体から発展していく新しい社会の形を見出していたのではないかと思うのである。
中沢さんの父が佐世保で行われていた原子力潜水艦寄航反対デモで投石する学生たちのニュースを見て、小さい頃に笛吹川を挟んで隣村の子供たちと石投げ合戦をしたことを思い出したとき、それは菖蒲切りだと網野さんが言ったという。五月の男の子の節句の行事だというのである。中世ではそれを飛礫(ひれき)といい、悪党たちが戦うときに相手をひるませるときに石を投げたことからきているという。それを聞いた父厚は、学生を動かしているエネルギーは思想からきているのではなくてもっと原始的な力が働いているのだと言った。それ聞いた網野さんは悪党の存在が中世や古代よりも昔からある根源的な菖蒲切りのような民間習俗からきている気がする、飛礫の研究は重要だ、と言ったという。人間を本当に幸福にするためには革命でも科学技術でもそういう根源的なものにつながっていなければならないと。網野さんのその後の研究で悪党などの非農業民の働き、差別された人々への視点が加わったというのである。網野史学では悪党、博打打ち、性愛の神秘を言祝ぐ路傍の神様などが大地とともに生きる民衆の中に宿るのだという。
筆者の父厚はコミュニストだったが、戦後のコミュニストには二種類あったと中沢は考えている。一つは知的にも情緒的にもバランスを欠いた過激な人、もう一つは社会事業に打ち込むような社会運動家のタイプで、議論をすると前者が勝つので、コミュニスト集団としては過激な方向に向かってしまう。父厚は後者のタイプであったために運動から外れてしまったという。
天皇と人々のつながりについて、網野さんは次のように解説した。「非農業民には山の民、川の民、海の民がいた。天皇は米として租税を集めるのではなく山や川で取れる産物を神様へのお供え物という形で直接納めさせた。農民は租税収集のために間接的につながっていたのに対して、非農業民は直接天皇とつながっていた。農民は保守的な心情で天皇とつながるが、非農業民は右翼的な心情でつながる傾向がある。」日本人の天皇への心情をうまく解説している。
中沢さんは網野善彦が書いてきた日本歴史に関する著作が生まれだしたその背景を自分の父、その弟、そして自分との議論に見出し、それをこの本で紹介しているのだ。網野史学ファンならば必ず読んでほしい一冊だ。
僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)
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