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意思による楽観のための読書日記

「火付盗賊改」の正体ー幕府と盗賊の三百年戦争 丹野顕 ***

以前「火付盗賊改」に関する著作を読んでみたことがある。高橋義夫さんという作家の著作であり、この役回りの歴史と内容が詳述されていた。火付盗賊改と長谷川平蔵の活躍については、そちらにも詳しく書かれているので紹介ずみ。

本書は江戸時代を得意とする別の作家の著作。同じ題材を、別の作家がどのような視点からまとめられたのかが関心があり、読んでみた。長谷川平蔵に関しては、超有名な「鬼平犯科帳」があるため、作家としては手が出しにくい。それでは盗賊サイドに主人公に仕立て上げられそうな人物がいるかという興味である。

江戸年間で最大の盗賊集団を率いていていたのが通称「日本左衛門」、100-200人の手下を擁し、伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、美濃、伊勢、近江までを股にかけて押し込み強盗を働いていた浜島庄兵衛。1719年生まれの浜島庄兵衛、父の友右衛門は尾張藩に仕える中間、足軽より下っ端の奉公人であったが、飛脚役を仰せつかり立場にしては稼ぎは良かった。人生先はない、と若くして悟った庄兵衛は悪党組織に属し、勘当されて家を飛び出した。アジトを設けたのが見付宿。腹心の子分に参謀で知恵袋の尾張藩浪人中村左膳がいた。京の都で三千院門跡の宮侍となり、宮家菊紋入の提灯を手に入れていた。この提灯があると、関所通過と運搬用馬と人足調達が容易にできたという。もうひとりの手下で「家老」と呼ばれたのが駿河岩淵村無宿の弥七と用心棒格の中島順助。役割分担をして200人ともいわれた手下たちを束ねていた。多くは飢饉などにより地方で食いはぐれた農民である。

浜島庄兵衛一党は、押し込みをするときには必ず富裕な家を狙い、数十人の手下とともに押し入る。抜刀した見張りが四方に目を光らせ、村の道筋にも抜き身を持った番人を配置したので、押し入られた家も、近隣の商家も豪農でも、手助けをしようにも手の出しようがなかった。押し入る家については詳しく下調べを行い、婚礼や祝祭など家に金がある時を狙う。領主の家内にも奉公人の中には内通者が必ずいるので、闇討ちを恐れ被害を受けた家もうかつに訴えられない。よしんば代官所に訴えがとどいても、領内ではない、などと境界線の問題にされてしまった。被害者の豪商の一人が、江戸表にまで訴状を届けたことで、討伐命令が出ることになった。

公儀側は将軍吉宗が1745年に家重に将軍職を譲り、町奉行は名奉行だった大岡忠相が寺社奉行となり、人事が刷新されていた。火付盗賊改も徳山五兵衛へと代替わりした。浜島庄兵衛の本拠地は遠江の見付宿で幕府中泉代官所がある場所。さらに隣接して掛川藩、相良藩、横須賀藩、浜松藩もあるが、領地が錯綜しており、お互い境界が気になり、さらには庄兵衛の手下勢力と武力に恐れを抱いて手出しができなかった。人事刷新されていた幕閣は、就任直後の徳山五兵衛に遠江遠征と庄兵衛捕縛命令を下す。

庄兵衛たちは庚申待ちの夜に賭博場に居る、との情報を得た徳山五兵衛は、50名ほどの同心に精鋭与力五騎を従え、50名ほどの人足を使い、見付宿の賭場を取り囲んだ。半時ほどで一味を捕らえたが、庄兵衛だけが見つからない。中泉代官所から捕縛のための触書を即刻出してもらう。東海道金谷宿から浜松宿までの6宿場に非常線を張り、中島順助やその他主だった手下を捕縛するが、庄兵衛だけは相変わらず見つからない。人相書きによる全国手配をするが、ここから3ヶ月半、庄兵衛はツテを頼って、美濃、大坂、讃岐、安芸、備後と西日本を逃げ回った末、観念して京都奉行所に自首することになる。庄兵衛、中村左膳、中島順助、弥七なども含めて町中引き回しの上獄門となり、幕府も面目を保つことができた。徳山五兵衛はこの大捕物で火付盗賊改として歴史に名を残す。

江戸末期の「白浪五人男」では、浜島庄兵衛は日本左衛門ならぬ「日本駄右衛門」と名を変え義賊として描かれる。大盗賊であったが、地方からの無宿者を養ってくれる大親分だった。強盗対象は富裕な商人や豪農であり、庶民からすれば拍手喝采、という側面があった。白浪五人男に徳山五兵衛は登場しない。

読んでみて改めて感じるのは、江戸時代でも、盗賊改の取締対象となるような無宿人となる羽目に陥る地方の農民は多かったということ。原因は飢饉や疫病である。長谷川平蔵が名を上げたのは、老中松平定信に人足寄場の建議を行い、自らその運営を行って成功させたこと。そもそも、火付盗賊改の役職は、江戸の街と関東近辺に多発した火付け、盗賊、賭博犯を捕縛して罰することにより、犯罪を防ぐこと。しかし次から次へと職を求めて江戸に押し寄せる無宿人は、犯罪者予備軍だった。無宿人と軽犯罪者には現在の教育刑務所のように仕事を覚えさせて、手に職をつけ、仕事場まで用意して放免すること、これが人足寄場のコンセプトだった。平蔵の担当期間はその精神が活かされたが、その後は単なる刑務所となってしまい、人足研修の目的を果たしていない。平蔵のような提案ができる火付盗賊改はその後も出てこなかった。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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