以前読んで感動を覚えた「イザベラ・バードの日本紀行」を思い出した。彼女の日本訪問は王立協会後援の視察であり、日本へのキリスト教布教のための調査旅行でもあったが、日本への発展の期待とともに深い懸念があることを伝えている。「多大な政府による借金、経済発展至上主義、欧米の良い技術だけを取り入れて日本人だけでうまく運営しようとする考え方、倫理道徳教育の欠如、アイヌやアジアの人たちへの差別的考え方など」である。江戸末期の知識階級は、中国がアヘン戦争で骨抜きにされ、列強諸国にいいように植民地されるのをみた。そして自分たち武士階級が幕府体制をひっくり返して開国を実現させることを実現した。殖産興業、富国強兵で坂の上の雲を見た明治日本人の夢は日清・日露戦争の勝利、第一次世界大戦後の領土拡大で達成できたかに見えたが、科学的分析力欠如と帝国主義的欲望により大陸進出を目指し、アメリカ・イギリスと対立、そして敗戦、結果として第二の開国を占領により強制されることになった。
その江戸末期から明治時代に多くの留学生たちが先進国アメリカに留学しているが、本書では、上記のような背景から何を学んで、どのように実現できたのか、できなかったのかをまとめた。幕末には個人として新島襄、薩摩藩からは密航留学生として吉原重俊、高橋是清。明治初期には司法システムをを学ぶためロースクール留学が多く、イエール、ハーバード大学への留学生がいた。小村寿太郎、金子堅太郎、鳩山和夫。科学技術、軍事学、人文科学を学ぶのはMITに行った團琢磨、ダートマスに行き、アメリカで教授にまでなる朝河貫一、軍事学を学んだ秋山真之。神学を学んだのが新島襄を継ぐことになる小崎弘道、横井時雄、原田助、内村鑑三、新渡戸稲造などがいた。
日露戦争では、大国であり世界に領土拡大の悪感を有していたロシアに対等に戦った日本の名前を世界に知らしめた。しかしその後の領土拡大に向けたあからさまな欲望は、逆にその日本による領土拡大の悪感を世界に広めることになる。それを、上記留学生たちはアメリカや欧州の知人たちに理解させようとして、ポーツマス条約交渉では、日本への共感を得ることにある程度の成功を見る。しかし、その後日米衝突に至る中では、個人の動きは日本政府の交渉や軍の横暴、日本国民による政府への支持の動きを欧米知識人たちが理解するに至るまでにはならない。個人としての日本人友人たちへの好意と理解が、政府の行動にまで繋がるには、多くの時間が必要となり、それは戦争回避を実現するには間に合わなかったというのが実態だった。
朝河貫一の見方と戦争回避のための行動が典型的である。朝河は1909年の「日本の禍機」で、日本人たちが戦勝の余勢をかって近隣への拡大を欲していることで欧米との利害対立が生まれアメリカは警戒していることを記し、日米衝突に警鐘を鳴らしている。アメリカではすでにその頃までに日本の拡張主義への警戒感があったことを朝河は感じていたということ。1897年に秋山真之がニューポートの海軍大学校への入学を「日本は仮想敵国」との理由で断られている。日清戦争後の日本の大陸への進出意欲がアメリカの権益と衝突していたことを物語る。国際社会でのコンセンサスは「領土保全」「機会均等」であるはずなのにその二大原則に反し満州に勢力を伸ばそうとしていることに、不正を訴える通信が続々発表されているという。
日本の開国を導いたアメリカ、多くの日本からの留学生を受け入れてきたアメリカは、幕末に気は逸れども力不足のため欧米諸強国の爪牙にかからんとする恐れありとしてまず誠意をもって日本のわれわれを開導してくれたことを思い起こすべし、と朝河は説いた。機会あるごとに朝河はこうした書簡を大隈重信に送っていた。第一次大戦、ワシントン軍縮などの一連の動きに対しても朝河の見方、アメリカ世論についての意見を日本政府要人に送り続けたのが朝河貫一だったが、1931年には満州事変が勃発。牧野伸顕の弟である大久保利武に「日本と支那に横たわる難局を兵力にて一気に解決しようとする、甚だしき暗愚と迷想と存じ候」と日本を批判。日露戦争時との世界の見方の大きな違いを感じるべきと猛省を促している。1936年の日独防共協定では「なにも得るものはなく、失うことのみ多き」と評価。1939年の日本による「東亜の新秩序」に関しては、「武力と莫大の殺傷と破壊とに生まれたものであるが故に、日本に恐るべき国難をもたらすでしょう」と友人の村田勤に書簡で述べた。日米開戦回避では、金子堅太郎に書簡を送ることで、ローズベルト大統領による天皇への開戦回避親書を実現させたが、それが天皇の手元に届いたのは12月8日の明け方だったという。本書内容は以上。
日露戦争から第一次大戦、そして太平洋戦争に至る日本の辿った道が、留学生による日本への評価が鮮やかにまとめられた一冊だと思う。国がその道を誤ろうとする、それは外からの目が一番客観的に評価できるということか。EU統合とその後のBREXIT、GAFAに揺れたアメリカ、ウクライナ危機と現代でも同様の現象を見ることができる。人類はこうした反省を活かせるのか、これから何度も問われることになるのかもしれない。