この人の部屋からはいつも「コトン」「コトン」というボールの音が、夜遅くまで響いていたそうです。プロ野球・阪神の名遊撃手、吉田義男さん。「牛若丸」といわれた華麗な守備は、遠征先のホテルでの壁当ての繰り返しが生み出したものでした。
「不安な気持ちを消し、自信だけにするため」だったと後述しています。というのも、プロ1年目の苦い思いがあったからなのか。得意の守備で38失策。3、4試合に一つのエラーをした計算です。しかし当時の監督が辛抱強く起用してくれたことで救われました。
阪神で3度目の監督退任後の2004年、市田忠義・党副委員長(当時書記局長)との対談で語っています。「長所をいかに伸ばすか。選手は失敗して覚えることもありますでしょ」(本紙日曜版)。
自身の経験に裏付けられた信念。監督時代には選手の特徴を見定め、粘り強い起用で多くの選手が育ちました。1985年の球団初の日本一もそう。バース、掛布、岡田の強力打線はいまだ語り草です。
世界の野球の普及にも力を尽くしました。50代半ばでフランスに渡り、代表監督を7シーズン務めます。その間、約30カ国・地域のチームと対戦。日本球界でこれだけの対戦歴を持つ人はいないとも。そこで「野球に国境はない」と実感しつつ、多くの貧しい国の現実を知り、「日本は平和の使者として世界に手を差し伸べて」との思いを吐露しています。
91歳での訃報。日本と世界に残してきた足跡はこの後も消えることはありません。
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