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昨年の12月にアップして、次回予告をしておきながら忘れていた。たまたま原稿を見つけたのでアップする。未だに時宜を逸していないのは不幸なことである。昨年の12月20日に作成している。
前回、前々回も参照していただきたい。
GDP比2%に感じる違和感 ① 必要なのは戦略:それも平和への戦略
GDP比2%に感じる違和感 ② 国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議
緊張を緩和することとは「お互いに脅威ではない」という認識を共有すること
北朝鮮のミサイルが脅威ということで喧伝されている。では、その時期に北朝鮮の目の前で行われていた米韓日の合同軍事演習は北朝鮮にとって脅威ではないのか。ロシアはウクライナ侵攻という考えられる最悪の対応(*)をしたが、ウクライナのNATO加盟はロシアにとって脅威ではないのだろうか。
*当初動員兵力は15万規模と言われているが、これではキエフ占領はおろか拡大した戦線の維持すらできない。1000㎞を超える前線に15万人を貼り付けて何ができるのだろう。しかも予備兵力を開戦後招集するという醜態をさらしている。現代において国境線を軍事力で動かそうという政治判断をした国を国際社会が再び信頼するようになるには相当の時間がかかるだろう。
なぜ戦争の火種が消えないのか。それは国家や軍事組織が敵を必要としているからである。軍事組織が敵を必要としている理由は、それが存在理由だから、という単純なものだ。では国家はどうだろうか。国家主義者は認めないが、国家は対立を内包する。(階級闘争と言ってしまうと現代では狭く考えられてしまうので敢えて使わないが、要は階級闘争だ)政権基盤が弱体化すると敵を作り国内の統合を図る、というのが国家の常套手段である。
自民党の軍拡キャンペーンしかり、分断国家アメリカの対中強硬姿勢しかり、国民統合に自信を失った北朝鮮しかり、失いつつあるかもしれない中国・ロシアも然りである。
そういう意味で現代の戦争は対外的要因で起こるのでなく、国内に起因していると言ってもいいかもしれない。軍事力で自国の意志を他国に押し付けるというのは相手が小国であっても失敗するということをアフガニスタン戦争が証明している。それでも国家は戦争に賭ける。それしか国内統合の手段がない時に。
日本にとっての脅威とは
それは貧困である。経済の長期停滞ということがよく言われるが、停滞に続くのは衰退、衰退に続くのは荒廃である。荒廃は分断を生む。分断された国家の統合手段は戦争である。さらに真の脅威への対抗策を間違い続け、これからも間違っていくだろう、ということである。
次回はその辺を。
からの続きである。
いまさらであるが「国力としての防衛力」という議論は憲法違反である。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これまで政府は9条があっても自国の防衛まで否定はしていないという見解をとってきた。すなわち「国権の発動たる戦争」は憲法が禁じているが自衛権までは否定していない、という見解である。
「国力としての防衛力(軍事力)」という概念は憲法にも政府の憲法解釈にも違反する。政府は「有識者会議のご意見ですから」と言い逃れをするのだろうが、政府の作文であることはみんな知っている。まあ、そのための「有識者会議」なのだろうが。
ウクライナ侵攻や北朝鮮のミサイル発射、中国の台湾侵攻の可能性という脅威が喧伝され国民は漠然とした不安に陥っている。この不安の背景には「日本の国力の減退⇒日本衰退論」という「不安」が横たわっている。そこを捉えて登場したのが「国力としての防衛力」という概念だ。国力とは何か、という議論には果てがない。よく分からない概念だし、論者によって定義はまったく異なるだろう。概念としては曖昧で議論の基礎にはならないが「富国強兵」こそ列強の仲間入りをする唯一の道だという伝統的考え方は根強くそれを利用しようとする勢力も根強く残ってきた。
ここでは国力とは何かという議論には踏み込まない。何となく脅威に感じている中国と日本を比較してみた。今回の岸田軍拡は仮想敵も手段も明らかにせず総額だけが決まっているという不思議なもので、本気を疑うが、想定しているのは中国であろう。この「何となく空気で決める」という文化をそろそろ何とかしないと大事に至ると思うが・・・
雑に日本・中国比較をするとグラフのようにドル換算GDPで中国は日本の4.3倍、人口では11.3倍であり、一人当たりGDPもドル換算で日本の38%と間もなく追いつくし現在でも1ドル=250円なら同等というレベルである。そのうえ核武装しており、政治的には権威主義的専制的である。要するに敵う相手ではない。
中国を脅威とみなして軍事的に対抗しようとすると、まさか軍拡競争で中国に勝てるとは考えていないだろから、米軍=日米安保を前提とするしかない。「いざというときは米軍が助けてくれる」ことを前提にするしかない。それは前稿で指摘した通り日本がアメリカの最前線=醜の御楯を務めることに他ならず、他国の利害に自国の運命を従属させることは、度を過ぎれば国民への背信行為だ。
もう一つの脅威?北朝鮮について考えてみよう。北朝鮮について日本は当事者たりえない。なぜなら朝鮮半島で軍事行動をとることは韓国が認めないからである。前政権より「親日的」であると言われる現政権も日本の軍拡に懸念の意を表している。まして日本軍が同胞である北朝鮮の人民に危害を加えることを許すはずがない。米軍ですら韓国の意向を踏まえずに朝鮮半島で軍事行動をとることはできないし、中・朝・米・ロ・日とも韓国軍だけで充分対応可能と考えているはずである。
敵基地攻撃能力が北朝鮮のミサイル発射基地(移動体も含めて)を指しているとしても、韓国やアメリカの意向を踏まえずに攻撃することはできないのである。そもそも韓国を巻き込まずに日本と北朝鮮が交戦状態になることが考えられるだろうか。
抑止力は潜在的なものであるという議論はあり得るが、抑止力というなら日韓関係の改善こそが最大の抑止力であろう。安倍政権は軍拡路線で嫌韓路線であった。それこそ意味不明である。日本は対北朝鮮軍備を韓国に担わせ平和の配当のみを享受してきたことを忘れてはならない。
GDP1%でもお釣りがきたのに
G7諸国の自国通貨建て総額を1997年を100として比較したのが下のグラフである。
右はG7を三つのグループ(日本・英米加・独仏伊)に分けてそのグループ内の平均成長率を算出したものである。
日本が、米英加なみに成長していたとしたら2021年の名目GDPは1424兆51百億円、独仏伊並みなら977兆44百億円となる。
その1%はそれぞれ14兆2451億円、9兆7744億円となる。今想定されている2%をはるかに超える金額となり、1%ルールの下方修正を議論する局面になっていたはずである。問題は2%かどうかではなくこの25年間にわたって日本経済が停滞を続けていることである。その停滞はいまや極端な少子化となって表れている。すでに「2022年の出生数(日本人)は、前年比▲5.1%減の77万人前後となる見通し」が発表されている。
では軍事費2%は経済成長に資するだろうか。以下の理由からマイナスであると考える。
- アメリカ製兵器の購入で輸入が拡大する。
- 軍事産業は裾野が狭い
- そのうえ低所得階層は直接の恩恵はない
- 研究開発も増額するようだが、もし新技術が開発されてもそれは軍事機密となり民間への転用には多大な時間がかかる
むしろ停滞の中での増額は他のリソースを圧迫する可能性が高い。
倍増すべきは軍事費ではなく子育て予算なのだ
いいかげんに漠然とした不安から目を覚まし、
今そこにある危機に目をむけようでははないか