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有識者会議などというものは、政府の作文の隠れ蓑・箔付けに使われるものである。こんなものに名前を連ねる人は何を考えているのかと思うが、ここではそういういちゃもんは止めて、我々のような無識者が「国力としての防衛力」を総合的に考えてみるとどうなるのかを書き連ねたい。
一身の独立なくして国の独立なし
まずは抽象的に議論を始める。見出しは福沢諭吉の言葉である。侵略への最大の防波堤は、国民が一身の独立という気風を持っていることである。その国民が「まつろわぬ民」であることだ。しばしば国民はその所属する国家によって「まつろわされる」。抵抗を排除される。そのうちに抵抗の仕方も忘れてしまい、忖度がはびこる気風が出来上がる。こうなれば侵略は武力を使わずとも容易であろう。アメリカに忖度するのを止めていずれかの国に忖度するだけの話である。侵略への最大の防波堤はその国民の抵抗精神であると言っていい。
同盟とは約束ではなく共通の利害である
政府は「南西諸島は日米安保の範囲内である」とアメリカに言わせて悦に入っているが幻想である。国権の発動たる軍事力は自国の利害を防衛するためのものであって他国を防衛するのは、それが自国の利害にかなっているときだけである。そうでなければ自国民を裏切ることになる。ところが日本は自らの防衛戦略をアメリカに依存しており、自国領土にこれほどの規模のアメリカの軍隊を置いている国は日本以外にない(在韓米軍は2万8500人規模、在日米軍は5万人規模+第7艦隊母港)。
昔から「安保タダ乗り」論と言うのがあるが、アメリカがタダで日本を守ってくれているとでも言うのだろうか。アメリカは自前の世界戦略に基づいて戦力を配置しているだけであり、あくまでアメリカの利害に基づいている。それが本当に利益にかなうかどうかではなく、そう考えている、ということだ。そこに従属して防衛戦略を考えるということは自国民への裏切りではないだろうか。
防衛省は同盟強靱化予算として在日米軍駐留経費を負担しているが、在日米軍関係経費は22年度予算で6000億円に上る。「アメリカが日本を守ってくれる」という幻想を土台として予算を組んでいるわけだが、これをなくせば米軍は日本から撤退するとでも言うのだろうか。アメリカは自国の戦略(利害)に基づいて配置しているだけである。アメリカの利益になれば戦闘部隊を派遣するだろうが、そうでなければ何もしないだろう。ウクライナのように兵器は送ってくるかもしれないが。
アメリカの戦略を端的にまとめた記事があったので紹介する。海上自衛隊幹部学校が発行している「海幹校戦略研究」に掲載されていた。
「戦略地政学的リスク:紛争が勃発した場合、欧州においては、米国は欧州大陸の独占的支配は防ぐことが可能であり、また、イランが中東の大部分を支配した場合でも、米国はイスラム帝国を凌ぐ経済と軍事力を確保できる。しかし、西太平洋では異なっている。日本が征服されるか、或いは中国による「フィンランド化」となれば、西太平洋の軍事バランスは、中国の優位は決定的となる。したがって、米国の戦略は西太平洋にプライオリティーを置き、西太平洋での前方防衛態勢の再構築、欧州(第 2 プライオリティー)と中東(第 3 プライオリティー)で遠征態勢の強化を図る必要がある。(海幹校戦略研究 2017 年 6 月「バランスを保持せよ―米国のユーラシア防衛戦略 Andrew F. Krepinevich」
「米国の戦略は西太平洋にプライオリティーを置き、西太平洋での前方防衛態勢の再構築」がアメリカの戦略なのだ。日本を盾にする「合理的な」戦略である。
1980年代初頭に対潜哨戒機P-3Cを100機購入することになって驚いたが、なぜ100機必要なのか?対潜哨戒機を導入して何をするんだ?という問いに政府はきちんと答えられなかった。当初でも一機100億と言われていたが初期費用だけで総額1兆円+毎年の維持費が議論もないままに決まってしまった。当時の推測では「アメリカへの忖度で総額ありき」「日本海溝に常駐する米戦略核搭載原潜の防衛」という話であった。アメリカにとっては「合理的」であったかもしれないが、その後P-3C100機が日本の安全を向上させたという話は聞かない。聞こえてくるのは雨ざらしになったP-3Cの残骸の話である。
軍事力が機能する条件
世界史は視点を変えれば戦争の歴史である。それは列強の歴史であり、列強に踏みにじられた諸民族の歴史である。日本は幕藩体制が倒れてからこの列強の仲間入りを目指してきた。今から100年前のワシントン海軍軍縮条約の締結国は米・英・日・仏・伊で、その主力艦の総トン数比率は5:5:3:1.67:1.67だった。第一次大戦後の列強はこの五つの戦勝国であり日本は明治維新後50年ほどで列強の仲間入りを果たしたということだ。その後の歴史を見ていくと、この五大国のうち日仏伊は敗戦の結果、首都を占領されている。第二次大戦前に再度勃興したドイツも敗戦の結果、首都を占領されている。大英帝国は戦後解体した。
第二次大戦後米ソの超大国が出現し、世界は二大超大国を中心とした二つの陣営に分かれた。冷戦と言われるが、この時代の特徴は二大超大国が核兵器を持って対峙したことである。冷戦がソ連邦崩壊で終わった後、21世紀に入って中国が旧ソ連邦に代わる位置を占めるようになってくる。米中対立とか新冷戦とか言われる時代だ。中国ももちろん核武装している。
旧ソ連邦の中心であったロシアも、アメリカも、中国も首都を占領されたことはない。(この場合中国の首都は重慶を念頭に置いている)国土が広大で、軍事的には縦深が深いということだ。前項で書いたアメリカの戦略とは、中国とアメリカ本土の間に勢力圏下の太平洋を確保しておきたい。そのためには日本はアメリカ防衛の最前線を務めよ。ということだ。アメリカですら将来戦の前線は国土から離しておきたいのである。
1941年対米戦を決意したときに、どのようにアメリカの首都ワシントンを占領しようとしたのか、そのような計画はあったのか。もちろんなかった。その意思も能力もなかったのである。途中でアメリカが戦線から離脱するだろうという希望的観測で戦争を始めてしまった。戦争の行方を相手の出方に委ねるということは戦争の主導権を取れないということになる。敗北への戦略だ。アメリカにはそのような計画はあったのだから。
首都が容易には陥落しえない、ということ。これが国権の発動としての軍事力が機能する必要条件である。
核抑止力が機能する条件
ロシアのウクライナ侵攻の時「(ウクライナが)核兵器を放棄していなければ・・・」という議論をなすものが現れた。こういう論者は核抑止力というものの本質を理解していない。
核抑止力の戦略は変種はあるが相互確証破壊戦略である。始めれば必ず双方滅亡する。だから相手と均衡するような核戦力を持つことで核戦争が抑止できるのだ。という理論である。そこには敵基地攻撃とか言う概念はない。ミサイルを撃った後の基地を攻撃してどうするんだ。相手国の都市を狙って報復することになる。反撃とは相手国への無差別攻撃となる。この戦略には先制攻撃論などの変形はあるが、元々核の先制不使用を宣言した国はないはずである。が、核戦争の引き金を引くことはできない。特に民主主義国では。後に予想される災厄が大きすぎるのだ。ここで民主主義というのは一応自由な選挙が実施されているということでありそれ以上の意味はない。
相互確証破壊戦略というのは「やれるものならやってみろ。ただじゃすまないぞ」という戦略であり相手が「ああ、そうですか。それで。」と言われてしまえば役に立たない。そんなことが言えるのは①国土が十分に広く国の再建に必要な人民は生き残ると予測でき②世論を顧慮する必要のない専制的な権力が支配している国である。ウクライナにも日本にもそのような条件はない。中国ですら民衆の抵抗でゼロコロナ政策を変更し始めている。②の条件が揺らいでいるのだ。
通常戦力での戦争でも、戦争という災厄にその国が耐えられるかどうかが試される。それに耐えられない国と耐えられる国がチキンレースを始めても勝敗は明らかだろう。
国家にとって脅威とは何か?
国際関係の緊張とは国々がお互いに相手を「脅威」として認識している状態である。では国家にとっての脅威とは何か。それは相手国の存在あるいは存在の態様がその国にとって相いれない、共存できない状態のことである。冷戦時代はイデオロギーの対立が双方にとって脅威になると考えられていた。この時代はさらに植民地主義からの解放闘争=民族解放闘争が熾烈を極め対立構造をさらに深刻なものにしていた。お互いに自国内に相手にシンパシーを持つ部分を抱え、もっともアメリカの場合の反体制派はソ連志向ではなかったが、相手国に対するプロパガンダは自国内の反体制派にも向けられていた。曰く「アカの手先」「資本主義のイヌ」というわけである。
しかし現在そのような状況はあるだろうか。民族解放闘争は経済成長を希求する、あるいはそれを嫌悪する情熱に取って代わり、格差是正の要求が高揚している。中国とアメリカの対立はイデオロギー対立だろうか?双方が時には見せる居丈高な姿勢は国内に向けたものではないだろうか?相いれないとか共存できないとかいう状態どころか世界はますます相互に依存し、一つの資本主義に収れんしつつあるのではないだろうか。資本主義は世界を自分に似せて作りかえるとマルクスは言ったが、その通りの事態が進行している。それは資本主義という経済システムが現在最も適合したシステムであることを証明している(だから、いいと言っているわけではないが)。国家権力を掌握する者にとって本当の脅威は国内にある。
緊張を緩和することとは「お互いに脅威ではない」という認識を共有すること
北朝鮮のミサイルが脅威ということで喧伝されている。では、その時期に北朝鮮の目の前で行われていた米韓日の合同軍事演習は北朝鮮にとって脅威ではないのか。ロシアはウクライナ侵攻という考えられる最悪の対応(*)をしたが、ウクライナのNATO加盟はロシアにとって脅威ではないのだろうか。
*当初動員兵力は15万規模と言われているが、これではキエフ占領はおろか拡大した戦線の維持すらできない。1000㎞を超える前線に15万人を貼り付けて何ができるのだろう。しかも予備兵力を開戦後招集するという醜態をさらしている。現代において国境線を軍事力で動かそうという政治判断をした国を国際社会が再び信頼するようになるには相当の時間がかかるだろう。
なぜ戦争の火種が消えないのか。それは国家や軍事組織が敵を必要としているからである。軍事組織が敵を必要としている理由は、それが存在理由だから、という単純なものだ。では国家はどうだろうか。国家主義者は認めないが、国家は対立を内包する。(階級闘争と言ってしまうと現代では狭く考えられてしまうので敢えて使わないが、要は階級闘争だ)政権基盤が弱体化すると敵を作り国内の統合を図る、というのが国家の常套手段である。
自民党の軍拡キャンペーンしかり、分断国家アメリカの対中強硬姿勢しかり、国民統合に自信を失った北朝鮮しかり、失いつつあるかもしれない中国・ロシアも然りである。
そういう意味で現代の戦争は対外的要因で起こるのでなく、国内に起因していると言ってもいいかもしれない。軍事力で自国の意志を他国に押し付けるというのは相手が小国であっても失敗するということをアフガニスタン戦争が証明している。それでも国家は戦争に賭ける。それしか国内統合の手段がない時に。
日本にとっての脅威とは
それは貧困である。経済の長期停滞ということがよく言われるが、停滞に続くのは衰退、衰退に続くのは荒廃である。荒廃は分断を生む。分断された国家の統合手段は戦争である。さらに真の脅威は対抗策を間違い続け、これからも間違っていくだろう、ということである。
次回はその辺を。