松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

『女の一生 一部・キクの場合』を読んで

2007-01-31 10:00:46 | books
皆様は「浦上四番崩れ」をご存知でしょうか。

さぞ、皆様の頭の中の「明治」というある一時代に対してのイメージは
「近代化」という言葉で華やかに彩られている。

しかし、今の(仮)経済大国・ニッポンの源流でもあるのは、否定できないのも確かである。
中学・高校の日本史(又は社会)の教科書内の明治に関する記述の大半は
徳川時代という旧体制からの脱却、近代国家への発進

具体的には、「富国強兵・殖産興業」をテーマにした新政策の諸々である。
が、そのような、いかにも煌びやかな表舞台の外で
陽の当たらない、酷い、凄惨な現状は、あったのです。

それが、江戸末期から明治六年までに起こった長崎・浦上地方の隠れキリシタン弾圧であり
とりわけ、俗に言う「浦上四番崩れ」です。
是非、遠藤周作著の「女の一生・一部(キクの場合)」を読んでみてください。
ネタばれは私自身、されると嫌なので、勿論ここでもしませんが…

今回も、読んでる中で、自分の心は結構揺り動かされました。
キリスト・マリアを強く信仰する弱者達(農民より)
なぜか、秩序を保つためにそれを弾圧する側の方が、「分かる」とも思えたり
弾圧する強者(役人)の中でも、迷いがあるある役人の事に親近感さえ覚えたり…

隠れキリシタン達に共感を覚えなかったのは
私自身が、キリスト教を
特に「布教」について認めていないからあろうか。
だから、物語の中に出てくる宣教師・司教に対して、腹立つことさえあった。
ある信仰を(たまたま知ってしまって)信じることは、良いというか、しょうがないが

信仰を人に教えたり、「布教」したりするのは、やはり、解せない。
それは、苦しい生活や、悩みに見かねた上の、善意からくる行為だとしても
僕には、キリスト教司教の布教活動や、その言動を「おせっかい」としか思えなった。
そもそも、生活の全てに浸透した信仰って、どうなんだ?と思ったりした。

何かを信じるのはいいが、それで恵まれれば「おかげ」とありがたる。
しかし、恵まれなかったら、裏切られたとして、信仰の対象を恨んだりもしてしまうのではないか。
それは、それで自分勝手である。

何を書いているか分からなくなってきたが
先に紹介した著書を読んで今回書こうと思ったのは、新時代の陰に潜む事実の発見と

「信仰(の布教)」とは何かという、自問から、考えるところがあったからである。

あと、信仰の布教や、それを実施している宣教師に対して
当時の長崎奉行と同じように、上記の如く疑問を抱いている自分は

どんな人間なのか、とか...ね。