松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

『女の一生 一部・キクの場合』を読んで(続)

2007-02-01 11:11:17 | books
でもさ…

僕がさっき、宗教の「布教」を「おせっかい」と呼べるのは…
多分、自分が神を信じなきゃ、やってられないような生活水準にないからで…

多分、そうなんだよね…
当時の「隠れキリシタン」っていわれる人は、みんな生活に困窮した農民であった…
で、弾圧した側は、別に、生活に困らない役人で…

キリスト教を信仰する農民と、弾圧する人との乖離は
生活が豊かか、そうでないかということも一因をして数えられよう…
江戸時代の役人、又は明治初期の役人は、高級官僚で無い限り、それほど裕福でなかった
が、神を信じる程まで困窮はしてなかった。今の日本人もそうだと思う。

だから、そういう人にとって、お上が定める邪教(キリスト教)を信仰し、事を荒立てるのは
ただ、彼等が、秩序を乱しているとしか見えないからだろう。
僕自身が「宗教は…こうだ!」とか「神なんて…」って無責任な事を口にしてしまうことがあるが

それは、ただ自分が、神を信じなければどうしようもない、救いようがない…
そして、拠りどころがないような境遇に、たまたま…そう、たまたま立ってないだけなのかも。

そう考えると…

比較的恵まれた境遇ってだけで、神や、それを真摯に信じる人を
とやかく言ったり、冷ややかに見る自分が馬鹿らしくなってきた…

(勝手な奴だな)って…
あの人たちは、そう。
それを信じなければ死んでしまう…そんな境遇だったのだと…

そして、そういう境遇に偶然居ないってだけの自分を、分からなければならないと思う。そしたら…
神を信じる人、違う神を信じる人の事だって、愛せると思う…。

そんで、違う考えの人の事さえも、愛していけるのだろうなって思う…。