でもさ…
僕がさっき、宗教の「布教」を「おせっかい」と呼べるのは…
多分、自分が神を信じなきゃ、やってられないような生活水準にないからで…
多分、そうなんだよね…
当時の「隠れキリシタン」っていわれる人は、みんな生活に困窮した農民であった…
で、弾圧した側は、別に、生活に困らない役人で…
キリスト教を信仰する農民と、弾圧する人との乖離は
生活が豊かか、そうでないかということも一因をして数えられよう…
江戸時代の役人、又は明治初期の役人は、高級官僚で無い限り、それほど裕福でなかった
が、神を信じる程まで困窮はしてなかった。今の日本人もそうだと思う。
だから、そういう人にとって、お上が定める邪教(キリスト教)を信仰し、事を荒立てるのは
ただ、彼等が、秩序を乱しているとしか見えないからだろう。
僕自身が「宗教は…こうだ!」とか「神なんて…」って無責任な事を口にしてしまうことがあるが
それは、ただ自分が、神を信じなければどうしようもない、救いようがない…
そして、拠りどころがないような境遇に、たまたま…そう、たまたま立ってないだけなのかも。
そう考えると…
比較的恵まれた境遇ってだけで、神や、それを真摯に信じる人を
とやかく言ったり、冷ややかに見る自分が馬鹿らしくなってきた…
(勝手な奴だな)って…
あの人たちは、そう。
それを信じなければ死んでしまう…そんな境遇だったのだと…
そして、そういう境遇に偶然居ないってだけの自分を、分からなければならないと思う。そしたら…
神を信じる人、違う神を信じる人の事だって、愛せると思う…。
そんで、違う考えの人の事さえも、愛していけるのだろうなって思う…。
僕がさっき、宗教の「布教」を「おせっかい」と呼べるのは…
多分、自分が神を信じなきゃ、やってられないような生活水準にないからで…
多分、そうなんだよね…
当時の「隠れキリシタン」っていわれる人は、みんな生活に困窮した農民であった…
で、弾圧した側は、別に、生活に困らない役人で…
キリスト教を信仰する農民と、弾圧する人との乖離は
生活が豊かか、そうでないかということも一因をして数えられよう…
江戸時代の役人、又は明治初期の役人は、高級官僚で無い限り、それほど裕福でなかった
が、神を信じる程まで困窮はしてなかった。今の日本人もそうだと思う。
だから、そういう人にとって、お上が定める邪教(キリスト教)を信仰し、事を荒立てるのは
ただ、彼等が、秩序を乱しているとしか見えないからだろう。
僕自身が「宗教は…こうだ!」とか「神なんて…」って無責任な事を口にしてしまうことがあるが
それは、ただ自分が、神を信じなければどうしようもない、救いようがない…
そして、拠りどころがないような境遇に、たまたま…そう、たまたま立ってないだけなのかも。
そう考えると…
比較的恵まれた境遇ってだけで、神や、それを真摯に信じる人を
とやかく言ったり、冷ややかに見る自分が馬鹿らしくなってきた…
(勝手な奴だな)って…
あの人たちは、そう。
それを信じなければ死んでしまう…そんな境遇だったのだと…
そして、そういう境遇に偶然居ないってだけの自分を、分からなければならないと思う。そしたら…
神を信じる人、違う神を信じる人の事だって、愛せると思う…。
そんで、違う考えの人の事さえも、愛していけるのだろうなって思う…。