Fantasy Football(ファンタジーフットボール)戦記

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John Elwayが決着させた二つの因縁

2016年02月11日 21時30分00秒 | NFL
DENVER Broncosの勝利に終わったThe Super Bowl 50。

その余韻が覚めないうちに、DENのGM(就任時の印象が強いため、つい「副社長」と呼んでしまうのですが)John Elwayにまつわる二つの因縁についてまとめてみました。

一つめの因縁とは「Super Bowl(SB) で勝てないQB」。

Elwayは現役時代に、SBに5回出場しましたが(QBとしてはBradyに次ぐ記録)、勝てたのは晩年の2回。それまでElwayは「SBで勝てないQB」と10年以上もいわれ続けてきました(SB初出場が1987年で3回負け、初勝利を上げたのが98年)。

そして自身が率いるDENも、初出場の1978年以降SBで勝てないチームに数えられるようになっていました(DENのSB4連敗のあとに4年連続4連敗を喫するBUFが出現するわけですが)。

それでも最後の2シーズンでSB連覇を果たしたことで、Elwayは汚名を完全にすすぎ、DENに初めてのSB優勝をもたらした、地元の英雄として名を残しました。そして、副社長としてチームに復帰後、Elwayはもう一人の「SBで勝てないQB」を呼び寄せたのでした。

もちろんPeyton Manningのことです。

すでに押しも押されぬ名QBとなっていたPeytonですがSBでの勝利はわずか1回(当時は2回出場)。長年のライバル、Bradyには先を越され(4年で3回SB制覇)、弟のEliにもSBの勝利数(2戦2勝)で追い抜かれていました。

SBになかなかたどり着けない、たどり着けても勝てないQBと言われてきたのです。

そんなPeytonは2011年シーズン、首の手術のため前シーズンを全休。後遺症の可能性もあり、INDとしては再契約に踏み切れませんでした(その後、ドラフト1位指名権を持っていたINDはLuckを獲得)。

一方、2011シーズンにElwayがフロントに復帰していたDENでは新人のTebowが大人気を博し、Playoffにも進出。「Tebowing」はNFLの枠を超えた流行語にまでなりました。PlayoffでNEには敗れたときにはいろいろ指摘があったTebowでしたが、成長過程の選手でもあり、このままフランチャイズQBとして育てる選択肢もあったかもしれません。

しかし、ElwayはPeytonとの契約を選択しTebowをトレードに出しました。

その後DENで大活躍し、首の傷の後遺症を疑う声を抑え込んだ Peytonですが(2012年シーズンはPlayoffでFlaccoの一発に沈みましたね)、2013年シーズンに進出したSB 48に巨大な壁にぶつかりました。
最初のプレイでいきなりのスナップミスからのSafetyがあったとはいえ、SEAの強力ディフェンスになすすべもなく押し切られました。その姿からは、年齢(当時37歳)もあり、SB優勝は一度の、勝てないQBのまま終わりだろうという声が高まりました。

2014年シーズンは、Divisional Playoffでかつての在籍チームINDに敗れました。Peyton自身がシーズン終盤に怪我を負っていたこともあってか惨敗を喫しました。そのINDをConference Finalで破ったNEがSB 49も獲ったことで、Bradyは衰えないのにPeytonはもう終わりというイメージがさらに広がりました。

その2014年シーズン後、Elwayは大きな動きに出ます。2011年シーズンの就任後、4年連続でチームをPlayoffに導いていたFox HCを馘にし、かつての盟友(自分がエースQBだったときの控えQB)Kubiakに交代させたのです。

Fox体制にあったタガのゆるみがElwayには許せなかったのでしょう。

SB 48での大敗直後にささやかれたのはDENの準備不足でした。一部の報道によると、中立地だったNYでクラウドノイズが起こる可能性に気を配らずそれが試合直後のOLを混乱させ、開幕直後のスナップミスを引き起こしたとされています。

2014シーズンのPlayoff敗戦前も、DENのロッカーはひどいありさまだったようです。高額契約をもらえそうなことを口にする選手や次のNE戦に意識が向いている選手がいて、結果としてINDに敗れたという記事を目にしました。
 
Belichick率いるNEからもわかるように、「チームの統制」は勝つための重要条件です。逆にいえば、統制がないチームは実力があっても最後の最後(つまりSB)で勝てません。ここ数年の戦果は評価されていましたが、SBを獲るためにはFox体制ではだめと判断したのでしょう。

「剛腕(Strong Arm)」と呼ばれたElwayは、3回SBに進出するも勝てませんでした。そのElwayが晩年の2年間に連覇できたのは、DENが守備を重視したチームカラーに生まれ変わったからでした。

そして自身2度目のSB制覇のとき(38歳)よりも、さらに1歳年長のPeytonを抱えるElwayは、守備中心にチームを編成し直しました。かつての勝てなかった自分を、そしてその後の連覇を知るKubiak(91年に選手引退後、連覇当時はOCとしてDENに在籍)に指揮を取らせました。

KubiakがDCとして招聘したのはWade Philipps。守備チーム構築の達人です。得点は少なくても時間を使いながらランで進み、強力なディフェンスで守り切る…Kubiak & Philipps体制で2013年シーズンとは全く異なる道を選んでSBを目指したのです。

幸いにもチームにはElwayが最初のドラフトで指名したVon MillerをはじめFAで獲得していたWare、T.J.Ward、Talibといったタレントが揃っていたこともうまく作用したようです。

こうしてSB 48ではハイパーオフェンスを売り物にしていたDENはわずか2年後に守備のチームとしてSBに登場しました(その道のりについてはいずれ別のコラムで振り返ります)。

今回の勝利で、DENは8回SBに出場(PITに並ぶ最多記録)し3勝。同じ出場回数のPITよりも勝率は悪いですが、もうDENがSBで勝てないチームとは呼べません。

PeytonはDENに在籍した4年で2回SBに進出し、SBは通算で2勝2敗。今シーズンで引退するかどうかはまだわかりませんが、Eliとも勝利数で並び、2チームでSBに2回進出し勝利を挙げた初のQBになりました。

Elwayは、DENのフロント入りして5年。かつての自分によく似た境遇にあったPeytonを呼び寄せ彼に二つ目のリングを授けました。そして同時に、引退が近い歴戦のQBでも勝てるようチームを作り直し、DENに17年ぶりのSBトロフィーをもたらしました。

表彰式を見ながら、20年近くにわたるElwayの壮大なドラマが最終回を迎えた、そんな気がしてなりませんでした。

Peytonには、引退後INDでのフロント入りを期待する声が上がっています。その時にLuckによるINDのSB優勝が果たされていなければ、それがPeytonの最初の目標になるかもしれません。
 
おっと、Elwayのもう一つの因縁について書くのを忘れるところでした。

優勝直後のセレモニーでElwayは「He wouldn’t want me to say this, but this one’s for Pat」と叫びましたね。PatとはDENのオーナー、Pat Bowlen氏のことです。

Bowlen氏はSB 32(最初の優勝)の表彰台の上で、トロフィーを掲げながら「This one’s for John」と言った人。
誰よりもElway(John)の苦難を知っていたからこそこの言葉が口を突いたのでしょう。(いまだにこの映像が残っているところが米国のすごさですね)。

Bowlen氏は数年前にアルツハイマー病を発症し、チーム3回目の栄誉を受けたSBの会場には来られませんでした。Elwayはようやくチームがたどり着いた表彰台の上で、トロフィーを手に、18年前のオーナーの言葉に応えたのでした。


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