ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 250 LM Street,250 GTO 64シリーズⅡ

2021-06-22 | スペシャルモデル

フェラーリ 250 LM Street

(1963-1965) 生産台数32台

車名は1気筒当りの排気量とLMはルマンから。

初めの1台だけ250㏄で、以降は排気量を275㏄が搭載された。275LMと呼ばれた。

250GTOの後継として登場したフェラーリ初のミッドシップGT。

当時ライバルだった大フォードは、打倒フェラーリを謳い文句に物量作戦でフェラーリの牙城を

崩そうとした。

世の中はミッドシップの時代になっていて、

エンジンパワーだけでレースに勝てる時代ではなくなっていた。

そこで作られたのであるが、レースでは思うような成績は挙げられなかった。

GT選手権は連続12か月100台以上生産が条件だったが、大量生産ができる設備が無かった。

生産が思うようにいかなかったエンツォフェラーリは250GTのエヴォリューションモデルとして

FIAに申請したが、さすがにLMはミッドシップなので認可されることは無かった。

納得できないエンツォフェラーリは65年GT選手権に市販型のフェラーリを欠場させた。

4,270×1,700×1,115㎜

820㎏ 287㎞/h 300PS

(305PS),2,953㏄(3,286㏄)

60°V12 SOHC

 

フェラーリ 250 GTO 64シリーズⅡ

(1964)生産3台。

250GTOの正常進化型。

1964年、フェラーリは強力なライバルの出現に備え、250LMをGTクラスへ投入する予定だった。

GTOの公認取得の際に通用したエボリューションモデルという理屈を今回も持ち出したが、

エンジンレイアウトが異なる点(GTOはFR、LMはミッドシップ)などから受け入れられず、

GTクラスの公認を得られなかった。

また、250LMの戦闘力も熟成が進む1964年後半までは高くなかった。

そこで急遽250GTOを3台増産、1964年に3台製作されたGTOは主に空力面が改良され、

250GTO64、またはシリーズIIと呼ばれた。

ボディデザインはピニンファリーナとなり、直線的なフロントノーズ、

250LMプロトタイプと同様のカットオフルーフを備えた。

ただし3台とも細部のディテールが異なっている。

GTOシリーズIIは1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利し、GTクラスで勝ち続け、

フェラーリにGT-IIIクラスの3年連続チャンピオンをもたらした。

他の詳細データ不明。