簡単な方法とは、その簡単な方法を身につけるまでしか役に立たない特殊な方法です。
漢字の書き取りをくり返してもその漢字を使った文章を書けるようにはならない。
とりあえずノートを開いて鉛筆を持って手を動かすことはできる。
だから漢字の書き取りをひたすらつづければ、
とりあえずノートを開いて鉛筆を持って手を動かすことはできる。
そのノートに意味を持つ文章を書けないのは「練習してないから」です。
反復練習には
意味を持つ文章を書く練習が無いから、
反復練習をしている間は
文章を書く練習はしていないのです。
百ます計算にゼロが入っていると計算は簡単です。
「+ 0 」の答えが全て分かれば
「+ 1 」の答えは「+ 0 + 1 」で一段全て弾き出せます。
でも
百ます計算でそんなことは教えない。
教えればできるのに。
気付いた人だけを取り上げて褒めます。
身につけさえすれば
とりあえず大丈夫になる方法は、
身につけるまで手間がかかります。
体罰が無くても十分不快で苦痛になりえます。
だから
色々に簡単な方法を組み合わせて
「とりあえず大丈夫になる方法を身につける準備」
をしてから
「これさえできれば大丈夫だが身につけるまでは手間がかかる方法」を習得する。
あるいは「これさえできれば大丈夫な方法を手間暇かけて身につけながら、
少しでも詰まったら簡単な方法を導入」する。
基本の習得とはこういうものです。
取っつきやすい簡単な方法を踏み台にして基本を習得しなくてはいけない。
だから、
いつまでも取っつきやすい簡単な方法があるわけではない。
誰にでも手軽な達成感がすぐにあると思わせる教え方はわりと危険です。