義務教育の算数。今から使える自宅学習のコツ

学校を出てから使える基礎教養の授業開講予定。でも今は、このブログをご拡散ください。小・中学生個別指導経験7 年。

マナーと思いを語る奴を見たら逃げろ

2020-05-31 15:53:29 | 考えていること
新型コロナウィルスCOVID-19 への抜本的な解決策はありません。粛々と振舞っても死ぬ時は死にます。だから、

粛々と突き進む人を避けて通ってください。
熱血はすぐ逃げてください。
ツバも飛びます。

この際だから言いますが打開策に行き詰まると熱血や粛然とした態度に走ります。

「限界は認めたくない」と「上手くやりたい」に挟まれて外ヅラを整えるしかなくなっている状態です。

断言します。

詐欺師は感情の使い方が上手いのも事実なので、
人として余裕が無いだけで悪い奴ではないとも言えますが、

熱血や粛然から正確な情報を引き出せると思わないほうがいい。

相手は自分の思う理想を体現するほうに忙しい。

言っている私がそういう奴でないとも言いません(ずるい)。


なぜ簡単にできるようにならないのか

2020-05-30 15:38:20 | 本当の達成度
簡単な方法とは、その簡単な方法を身につけるまでしか役に立たない特殊な方法です。

漢字の書き取りをくり返してもその漢字を使った文章を書けるようにはならない。
とりあえずノートを開いて鉛筆を持って手を動かすことはできる。

だから漢字の書き取りをひたすらつづければ、
とりあえずノートを開いて鉛筆を持って手を動かすことはできる。

そのノートに意味を持つ文章を書けないのは「練習してないから」です。
反復練習には
意味を持つ文章を書く練習が無いから、
反復練習をしている間は
文章を書く練習はしていないのです。

百ます計算にゼロが入っていると計算は簡単です。
「+ 0 」の答えが全て分かれば

「+ 1 」の答えは「+ 0 + 1 」で一段全て弾き出せます。
でも
百ます計算でそんなことは教えない。
教えればできるのに。
気付いた人だけを取り上げて褒めます。

身につけさえすれば
とりあえず大丈夫になる方法は、

身につけるまで手間がかかります。
体罰が無くても十分不快で苦痛になりえます。
だから

色々に簡単な方法を組み合わせて
「とりあえず大丈夫になる方法を身につける準備」
をしてから

「これさえできれば大丈夫だが身につけるまでは手間がかかる方法」を習得する。

あるいは「これさえできれば大丈夫な方法を手間暇かけて身につけながら、
少しでも詰まったら簡単な方法を導入」する。
基本の習得とはこういうものです。

取っつきやすい簡単な方法を踏み台にして基本を習得しなくてはいけない。

だから、
いつまでも取っつきやすい簡単な方法があるわけではない。

誰にでも手軽な達成感がすぐにあると思わせる教え方はわりと危険です。

点数のつけられないもので出来なさを補ってはいけない

2020-05-29 23:05:01 | やりがちな失敗
努力や熱意は成果よりもずっと個人的で共有できないものなので、胸のうちに大切にしまっておいてください。
努力や熱意を語られたら、

聞くほうもよく聞いて考えて主観を交えた意見を返さなくてはいけない。
でも
努力や熱意はどうしても他人の主観に矮小化されてしまうものだと私は思います。
やった本人が一番尊重できる。

成果は成果でしかなく
間違っていればバツがつきますが、
ただ間違えただけなので
悔しがるのはまだしもツラく思うのは筋が違う。
あなたにはバツはつかない。
どうしたってツラく思う気持ちは本当だと思う。
でも事実ではない。解いた人にバツはつかない。
結果を出す途中に間違いが有っただけです。

誰であっても結果しか採点できない。

努力や熱意を語りたくなったら「休みたい」と先に言ってほしいし、

返事を待たずにさっさと休んでほしいです。
ゲームは中断がツラいので休憩中はやめてください。却って疲れます。

解くのを待っているほうからは
方法を教えることしかできません。
例えば

途中式を書く習慣づけとは丸を増やす方法です。
途中式が合っていれば、

その途中式には丸が付きます。

方法しか教えられない先生とは
心のこもった熱い交流は望むべくはないかもしれませんが、

努力や熱意を話しても通じない相手との時間が内心の真実を大切にする練習になることを私は願います。

採点後に間違い探しできる

2020-05-29 15:30:18 | 本当の達成度
計算途中式の話です。丸つけをしては投げ出していた勉強に「どこが違うんだ?」が加われば、

大人でも難しい「再検討」です。
いっしょうけんめいやった後の再検討は嫌で面倒なので大人もしばしば回避します。

どんなにイラついても最終的には、
間違えた箇所を探し出して直さなくてはいけません。
問題と解決策に「充分考えたから」「解決しようとまじめに思ってるから」と言っていると、

次からも熱意を持ってたっぷり考えなくてはいけなくなります。
問題が見つかって修正されればいいだけですから、

熱意と努力は必須ではありません。
探し出して直せば終わり。

筆記試験は実技より甘くて
やり直しが利きます。

外れた音程の歌い直しはできませんが、
試験の提出時間までは何度でも修正をかけられます。
紙が真っ黒になっても読めれば問題なし。

みんな頭では分かるのに
それでも再検討はしない。
だから
できるようになると大差がつきます。

なるべくすぐに再検討したほうが得です。

努力と熱意に点数はつけられない

2020-05-28 23:54:44 | 本当の達成度
「結果は結果」という冷たい考え方にもこういういい所が有るのですが、難しいのはこれが

「努力や熱意は、点数のつく結果とは別なのだから、今ここで言わずに黙って大切にしておきなさい。」

だからだと思うのです。

口に出したら聞く人がいますから。

言葉とは聞く人を前提に存在するものです(構造主義の考え方で証明されています)。

(内田樹『寝ながら学べる構造主義』参照)

だから何かと言うと努力や熱意を評価する「先生」はそれだけではまずいのです。

結果は努力や熱意とは別です。

別でなければ費用対効果(コストパフォーマンス)という考え方は成り立ちません。

だから、
結果の良し悪しはやった人の性格や人間的な優秀さとあまり関係ない。