今日は自宅に宗教の勧誘みたいな人が来たのでお断りしました。
ドアの前で女性2人がじっと立ち話をして嫌な予感がしていた。
ピンポンが鳴り出てみると、手に小冊子を持った女性2人組でした。
「今キリスト教の教えを廻っております」
『すみません、宗教に興味がありませんので』
「そういわず、少しだけお話をさせていただいてもよろしいですか」
『すみません、今忙しくて』
「それではこれだけでも受け取っていただければ」
『すみません、文字が読めませんので』 と言ったら帰って行った。
そもそもアポなしで人の自宅を訪問しているので社会人としてどうかなあ~ と思うのに、神様の使いだと言う。
それを信じられる人がいると思えない。
軒並みに家に飛び込み、「あなたは何か人生上手くいかないでしょ?」 みたいに言う。
多くの人が人生楽しくて仕方ないという感じでないので統計確率論で言えば当てはまりそうな言葉を選ぶ。
学生時代までは順風万端だった人がそう言われると、自分の事をわかってくれる人と出会えたと思い込んでしまい、親から相続した財産が1億円しか持っていなくても全部差し出してしまう。
でも小学生3年生の子供でも、人生が上手くいかないのは神様のせいでも先祖の霊のせいでもなくて、自分が根がグ~たらだからだと思うじゃないですか。
世界で起きている紛争のほとんどは宗教による考え方の違いから起きているわけで、宗教に興味がない人の方が幸せに生きていたりすると思う。
勧誘って、最後に「これだけ受け取って」 と笑顔で言って、もしもそれを受け取れば、「何度かプッシュすれば落ちる人」 に見えてしまうので、海外のサスペンスドラマに出てくるような、”文字が読めない人” と演じておけば、「えっ、あなた字が読めないのですか?」 とは絶対に言わない。
身体障がい者に向かってわざわざそんな事を言う人ってほぼほぼいないじゃないですか。
相手の事を否定してしまうと、次に自分が行きづらくなるのであえてそう言われた事は聞こえなかった振りをしてしまうじゃないですか。
そもそも、”私は文字が読めません” と言われたらそれって目で見てほんとに読めないのか? って相手の人も戸惑うような話じゃないですか。
”私は盲目で見えませんので” とか言われると目の動きとかそういうもので嘘かほんとかくらいはバカじゃない限りわかるじゃないですか。
基本すべて”ノー” と言っておけば5年とか10年はもう来なくなるので楽じゃないですか。
相手も海千山千のベテランだったりするので、”善意の嘘” を会話に織り込む際に、相手が確認のしようのない嘘を織り込む感じにすると、「あの人面倒くさいので2度と行かないようにしよう」 と2人でそう言って来なくなる。
この前は別の宗教の人が来て、『今具合が悪くて』 と言うと、「それは大変ですね、風邪でも引かれたのですか?」 と笑顔で訊くので、『新型コロナウィルスに感染してしまったようで救急車を呼ぼうと思っているのであなたも移らないと良いですね』 と言ったら急に用事を思い出したみたいに帰って行った。
ただ感染症と言うと3カ月後とかにまた来てしまうというものがあったりします。
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