厳寒の中、タイニーハウスの改造作業もできないため少し時間を持て余し気味です。政治的な題材は余り得意ではないのですが、ずっと胸につかえていた社会現象を取り上げてシリーズ化していきたいと思います。
今日は二回目ですが、ずっと嫌悪感さえ覚えていた事象を取り上げてみたいと思います。それは何かと言うと、所謂「日本礼賛のテレビ番組」です。個人的な感じとしては、以前はこの手の番組は少なかったと思うのですが、バブル経済が弾けた後の熱りも少し覚めた2000年以降、特に最近10年くらいの間に増えてきたように感じています。
自国文化に誇りを持ったり健康的な自己肯定感を持つこと自体は問題がある訳ではありませんが、最近の番組は見ていて腹立たしくなる程に内容も劣化しているように思えます。
ある番組では、良く訳の分からない基準で外国のエキスパートとやらを日本に招いて日本の匠の技術などを見学させ評価させる等の筋立てです。例えば、建築の専門家と称する外国人を招き、日本の伝統建築技術等を見学させ絶賛して貰うと言うパターンですが、登場した設計士とか大工さんがどう言う基準で選ばれたのかも不明で、しかも彼らがあたかも世界を代表するような立場での評価としてテレビ番組が取り上げるのも全く支離滅裂な内容で、余りも視聴者を馬鹿にしたような演出の稚拙さにも腹立たしさを覚えてしまいます。
こう言う番組が流行るのも制作側だけの問題ではなく視聴率が取れることにあるのだと思いますが、言い換えると多くの視聴者がこうした番組を受け入れていると言うことになります。つまり日本人の集団として社会的に何らかの心理的な背景がその裏側に潜んでいるのだと言うことです。
1)視聴者の観点
自画自賛の行為は、簡単に言えば誰も他人が褒めてくれないので自分で自身を慰め精神的な安定を求める行為です。考えてみれば、有頂天になっていたバブルが弾けた後の日本社会の閉塞感は非常に大きく、所謂「失われた20年」の中で人々の自信も落ち込んでいました。そんな中で、人々に希望や安寧を与えてくれる存在として、「心地良い」この手の番組が次第に人気を博してきたのかも知れません。
2)番組制作者の観点
テレビという媒体は、21世紀に入りメディアとしての魅力が相対的に落ちていることがあります。その中で、高視聴率が稼げて、スポンサーや関係者からのクレームのリスクも低く、費用的にも低廉な予算で制作できるのは大きな魅力です。そのため多くの放送局でこの手の番組を手がける動機の一つになっているように思います。
但し、番組の中身は高視聴率を取るために過度に日本文化や技術を称賛したり、無知や思い込みで過剰に演出を加えたり、視聴者受けを狙ったヤラセに走ってしまうことは由々しき問題です。番組の中の歪められた情報が多くの人々に影響を与えているように思えます。
3)影響
さて、上述したこの手の番組の影響なのかは確実ではありませんが、YouTube等のインターネットの媒体でも最近同じような現象が見受けられることです。ペイビューを稼ぐ目的でしょうが日本礼賛サイトが多く出現しています。更には、その延長で根拠のない自画自賛をベースに、ヘイトスピーチにも似た他国を貶めたり自国を自慢したりと扇動的な内容のものも数多く存在します。こう言うサイトを見ると、「もっと健康的な自己肯定感を持とうよ」と思わず叫びたくなります。
誇りと自画自賛は全く別物です。過剰な自己否定も自己欺瞞も決してためにはなりません。
関連動画;自作トレーラーの関連動画はYouTubeにアップしてあります。宜しければご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=z-eC-Jokxhw&t=25s
今日は二回目ですが、ずっと嫌悪感さえ覚えていた事象を取り上げてみたいと思います。それは何かと言うと、所謂「日本礼賛のテレビ番組」です。個人的な感じとしては、以前はこの手の番組は少なかったと思うのですが、バブル経済が弾けた後の熱りも少し覚めた2000年以降、特に最近10年くらいの間に増えてきたように感じています。
自国文化に誇りを持ったり健康的な自己肯定感を持つこと自体は問題がある訳ではありませんが、最近の番組は見ていて腹立たしくなる程に内容も劣化しているように思えます。
ある番組では、良く訳の分からない基準で外国のエキスパートとやらを日本に招いて日本の匠の技術などを見学させ評価させる等の筋立てです。例えば、建築の専門家と称する外国人を招き、日本の伝統建築技術等を見学させ絶賛して貰うと言うパターンですが、登場した設計士とか大工さんがどう言う基準で選ばれたのかも不明で、しかも彼らがあたかも世界を代表するような立場での評価としてテレビ番組が取り上げるのも全く支離滅裂な内容で、余りも視聴者を馬鹿にしたような演出の稚拙さにも腹立たしさを覚えてしまいます。
こう言う番組が流行るのも制作側だけの問題ではなく視聴率が取れることにあるのだと思いますが、言い換えると多くの視聴者がこうした番組を受け入れていると言うことになります。つまり日本人の集団として社会的に何らかの心理的な背景がその裏側に潜んでいるのだと言うことです。
1)視聴者の観点
自画自賛の行為は、簡単に言えば誰も他人が褒めてくれないので自分で自身を慰め精神的な安定を求める行為です。考えてみれば、有頂天になっていたバブルが弾けた後の日本社会の閉塞感は非常に大きく、所謂「失われた20年」の中で人々の自信も落ち込んでいました。そんな中で、人々に希望や安寧を与えてくれる存在として、「心地良い」この手の番組が次第に人気を博してきたのかも知れません。
2)番組制作者の観点
テレビという媒体は、21世紀に入りメディアとしての魅力が相対的に落ちていることがあります。その中で、高視聴率が稼げて、スポンサーや関係者からのクレームのリスクも低く、費用的にも低廉な予算で制作できるのは大きな魅力です。そのため多くの放送局でこの手の番組を手がける動機の一つになっているように思います。
但し、番組の中身は高視聴率を取るために過度に日本文化や技術を称賛したり、無知や思い込みで過剰に演出を加えたり、視聴者受けを狙ったヤラセに走ってしまうことは由々しき問題です。番組の中の歪められた情報が多くの人々に影響を与えているように思えます。
3)影響
さて、上述したこの手の番組の影響なのかは確実ではありませんが、YouTube等のインターネットの媒体でも最近同じような現象が見受けられることです。ペイビューを稼ぐ目的でしょうが日本礼賛サイトが多く出現しています。更には、その延長で根拠のない自画自賛をベースに、ヘイトスピーチにも似た他国を貶めたり自国を自慢したりと扇動的な内容のものも数多く存在します。こう言うサイトを見ると、「もっと健康的な自己肯定感を持とうよ」と思わず叫びたくなります。
誇りと自画自賛は全く別物です。過剰な自己否定も自己欺瞞も決してためにはなりません。
関連動画;自作トレーラーの関連動画はYouTubeにアップしてあります。宜しければご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=z-eC-Jokxhw&t=25s