昨日のことが3,4日前に感じる。一週間前のことは半月前のことのよう。わたしの頭、オカシイ。思うに、to doリストをドライに冷静に分析把握していないからだ。「バタバタしても5分も違わない。冷静に対処」をスローガンにもっとどげんかしなくては。せな自分がオカシクなる。頭皮はいつもがちがちにこった状態。本当、こんなの嫌。
今まで冷凍したお肉やおかずたちにシールで「●日に作った××」を記す自分げな想像できんやった。「そげんしたらよかとわかっとーっちゃけど、面倒でできん」で今までやってきた。それがいよいよ「面倒でもせな自分があとで困る」ということが増えてきたので、面倒なことを前倒しで取り組まなくてはいけなくなってきた。「前倒しに、あらかじめ、先を見越して」やっておいたことは当然すべて役に立ち助かる。けれども、わたしは「面倒やから、先で困っても今やらないー♪」でやってきた人生が長すぎて(汗…)、気持ちがどうにもついていかない。後に助かることを喜びにできる人もいるのやろうけれど、どうしても先で助かるのにイヤイヤやっている。今順応できないことが、「先で困って」部分なんやろーなー。すなわち今。
だいぶ追い込まれてきた最近。来週末博多に帰るようにしたのは正解だったかも。ただ帰省に要る用荷物を作って送ってがまた面倒。わたしが帰る一週前に夫とセガレが帰省するので、セガレは毎週飛行機に乗ることになる。大丈夫かな。体調管理はいつも以上にしっかりしたい。今回は博多の状況がいつもと違うので、わたしもセガレもどこに何泊というのが未だに見えない。ただ、わたしとセガレ二人行動時間が長くなりそう。帰ったらいつもひとりでぷらぷらしていたので、親子博多はこれはこれで新鮮か。しかしまだ寒い季節だからなー、どこへ行けるかな。博多帰ればセガレの排泄と食事以外、追われることはないはずやけん、ゆっくりしたいところ。追われたくない近頃なんです。
追われたくないで思い出したけれど、昨年自分にインフルエンザ疑惑がかかり、職場でもセガレが病気がちだった春先に上司にきついことを言われ、さらに園でもわたしが園へ不慣れなことからひとつ悲しいことが起こったのが重なったときに、「もう誰にも何も言われたくない」と言って夜部屋で泣いたことは忘れられない。何か言われても「ハイハイー」と受け流したり謝ったりで終わらせられよる時はまだこころが頑張れよる時なんよね。こういう経験を重ねて人のこころは鍛えられていくのだろうなぁ。
今まで冷凍したお肉やおかずたちにシールで「●日に作った××」を記す自分げな想像できんやった。「そげんしたらよかとわかっとーっちゃけど、面倒でできん」で今までやってきた。それがいよいよ「面倒でもせな自分があとで困る」ということが増えてきたので、面倒なことを前倒しで取り組まなくてはいけなくなってきた。「前倒しに、あらかじめ、先を見越して」やっておいたことは当然すべて役に立ち助かる。けれども、わたしは「面倒やから、先で困っても今やらないー♪」でやってきた人生が長すぎて(汗…)、気持ちがどうにもついていかない。後に助かることを喜びにできる人もいるのやろうけれど、どうしても先で助かるのにイヤイヤやっている。今順応できないことが、「先で困って」部分なんやろーなー。すなわち今。
だいぶ追い込まれてきた最近。来週末博多に帰るようにしたのは正解だったかも。ただ帰省に要る用荷物を作って送ってがまた面倒。わたしが帰る一週前に夫とセガレが帰省するので、セガレは毎週飛行機に乗ることになる。大丈夫かな。体調管理はいつも以上にしっかりしたい。今回は博多の状況がいつもと違うので、わたしもセガレもどこに何泊というのが未だに見えない。ただ、わたしとセガレ二人行動時間が長くなりそう。帰ったらいつもひとりでぷらぷらしていたので、親子博多はこれはこれで新鮮か。しかしまだ寒い季節だからなー、どこへ行けるかな。博多帰ればセガレの排泄と食事以外、追われることはないはずやけん、ゆっくりしたいところ。追われたくない近頃なんです。
追われたくないで思い出したけれど、昨年自分にインフルエンザ疑惑がかかり、職場でもセガレが病気がちだった春先に上司にきついことを言われ、さらに園でもわたしが園へ不慣れなことからひとつ悲しいことが起こったのが重なったときに、「もう誰にも何も言われたくない」と言って夜部屋で泣いたことは忘れられない。何か言われても「ハイハイー」と受け流したり謝ったりで終わらせられよる時はまだこころが頑張れよる時なんよね。こういう経験を重ねて人のこころは鍛えられていくのだろうなぁ。