思い出振り返りメモ。
○入学前編○
社福を目指したのにはいくつか理由がある。
一つではトライしなかったと思う。
・息子の学校生活がコロナ渦で6月に入学式をして、
その後一段落をした時にシッターをしながら別の仕事を
見ていたら、わたしがやりたいと希望する仕事はほとんど
「社福」持ってないと応募できなかった・・・。
・コロナ渦でオンライン勉強会も盛んだったので、
「保育士」だけで希望の仕事に近づけないか試行錯誤したけれど
わたしとしては残念だけれど納得がいかなかった。
・保育士を始めた30代中頃に、今のわたしの年齢ぐらいの先輩
方はみんな腰痛ベルトを巻かれていた。身体的な厳しさを
認識していた。
・自分も振り返れば社会的養護が必要な生育環境であった
のではないかと思った。おばがいてくれたからどうにかなったけれど、
それは「どうにかなった」のであって、
学生時代を「エンジョイ!」ではなく、「切り抜ける」「しのぐ」
感じだったなーと思う。今、自分が息子を育てる中で「普通」に
暮らすってこういうことかと、自分を振り返ると残念な
驚きを感じた。とはいえわたしよりずっと過酷な暮らしを
している子らもおるはずで、人生の後半はおすいう方々の
お役に立ちたいと思った。「彼らは私」という視点。
で、学校どこにするかと資料取り寄せて面倒臭いけど
マーカー引いたり付箋たてたりしながら検討した。
○3年次編入
最終学歴の学校から卒業証明や単位証明、
戸籍とか色々取り寄せるのがだるかった。単位証明の
成績の悪さに驚く(;゚ロ゚)。思わず息子に見せて苦笑。
からの福祉の大学ではSとかAの多い成績で息子に
面目躍如・・・。「人間やる気」。
編入してからしばらくは土日ほとんど授業やった。しかし、
「1年で単位を取るのではなく早めに単位取得を終えて
受験勉強に充てる」提案を学校のアドバイザーさんに
いただいたのでそのようにする。一年分の単位を半年で
取得した。仕事行く時でもいつでも分厚いテキストをいつも
持参していた。一科目につきレポートは一つで良いかと思いきや
「科目修得試験」といってレポートは一科目につき
2つ以上は提出せないかんくてそれが大変だった。
☆仕事
とはいえ、3年次はまだ、お客さんに甘えながら
お仕事もほぼ定期で入ってしていた。
「お勉強があるから遠慮していたのですが、話してみたくて」
と文科省のお母さまに呼んでもらったことがある。
全国の大学へ訪問するお仕事をされているとのことで、
わたしの大学へも訪問されていた。
○4年次
4年になる頃には過去問等触れていたけれど
暗記がだるくてやっていなかった(致命傷)。
4年次は春から実習に向けての作業が続く。
わたしは「母子福祉支援施設」で決定していたはずなのに、
決定面談の二ヶ月後に「施設が受け入れを拒否」と
通達されて、約一ヶ月間飛び込みで受け入れ施設を
探すことに・・・。これは辛かった。けれど、
周囲の福祉系大学卒の方や社福持ちの方々へ相談、アドバイスを
いただきながら、施設が決定した。
「実習課題は毎日でこれがすっごい辛いから、ある意味国試より
辛いから!家から近くで!!」というアドバイスを
素直に聞かせていただいた結果の実習先だったが、
たくさんのことを経験させていただき良かった。
積極的に実習生を受け入れている法人だったので、
わたしのような社会人実習生から現役大学生まで
関わることができたことも貴重な経験だった。
○プロレス
引き続きプロレスの動画を閲覧している・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます